再録

お気に入りのシャツを着て好きなあの娘に会いにいくように
右手にポップコーン、左手にはコーラを持って映画館の扉をあける。
そんな月曜日があってもいいと思うように物事には自分だけのルールというもがあってもいいと時にアタシは思う。
例えば、好きなオカズは最後までとっておいて食べようとした時には隣の不良に食べられ、怒るに怒れない状況を毎月第三金曜日の昼下がりに作り出すとか、待ち合わせにはきっかり5分遅れるとか、母の悪口は二度と言わないとか、年老いても手紙の最後に必ずPSをつけるなど。
でも時にそういった自分で決めたルール(ホントどうでもいい)に縛られて人のアドバイスなんかを無意にしてしまうって事なんかもある。これってなにかに似てない?
《そんな事なくもない?インヤ?ある!さぁアナタはドッチ?ワタシアパッチ、なんで、このマスを三つ進みマス》
例えば好きだった原作が映画化され観劇した後の後味の悪さ、つまり自分の中で思い描いていたあの、先入観。多分こういった言葉が一番分かり易いようでいて曖昧なんだが、今はそう記させてもらう事とする。《「仮」、そんでもって嘘》
つまりその先入観(この先の文章では潜入捜査官と呼称する)、だからもう一度声を高らかにして叫ぼう潜入捜査官!しまいには夢にまで出てくる潜入捜査官。
余談だが
今年のアタシの初夢は蕎麦屋に勤める初老の職人が小さい頃からの夢であった潜入捜査官に転職するという喜劇のような悲劇であった。

話が逸れつつあるのでここで先入観を潜入捜査官と記すのは一旦放棄する。

人の価値観をぶっ飛ばすように自分の先入観もぶっ飛ばしたい、そんなワガママな!なんておっしゃられそうだがサムライミ監督の「死霊のはらわた」には少なからずぶっ飛ばされた。そして少しだけ自分の中のどうでもいいカベが揺らいだ。もともとホラー、スプラッター映画は好みではない。自分で言うのもナンだが、何故そうなったかはわからない。
幼少の頃にそういったトラウマがある訳でもないし、今ここで面白いトラウマを披露する気もないし、だってイヤじゃないしカッコつかないし、そんでもって聞く気もしないでしょ?
だからそれ故に人に説明しずらい。かといってメンス的ってわけでもないのである。多分食わず嫌いである、それと、見もしないのに先入観?だけで面白くないと判断してしまっていたのだと思う。
よく言うじゃん、一つでも嫌いな食べ物があるとその人は人生の半分を損してる、二つ嫌いな食べ物があるとその人は人生の三分の二を損してる、三つ嫌いな食べ物があるとその人は死んだ時にその事を後悔するって。
だから言うよ、くだらない先入観だけでこの映画をまだ見てない人は御託を並べる前に早く観なよ。1982年の映画だけど大好きだったあの娘に賞味期限はないようにこの映画にも賞味期限(はなから映画に賞味期限なんてない気がするが)はないんだからさ。そんで観終わった後に観る前までのどうでもいい潜入捜査官(仕事放棄から復帰、のちに殉職)に87発の銃弾をぶっ放されな。

PS
下北のカレイドで昼過ぎには5万が溶けて引くに引けず仕事休んで終日打って12万回収したあの日からずいぶん時が経ちました。
私はあれから結婚し子供を授かり今では3児の父です、この間なんかハワイアンセンターに行く夢をみました。夢のなかで私たち家族は楽しそうに遊ぶ人達をただただ眺めていました。
あたたかいお茶が美味しい季節、もうすぐそこです。

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