絶望的状況であっても、強気を保ち続けることは、若い性欲の餌食となる女教師の必要欠くべからざる要件である。
「あなたたち、何をしてるのか分かってるの?これは犯罪よ!」
彼女も子供でない。生徒達の血走った目と荒い息遣いから、これから何をされるのか、おおよその想像がついた。恐怖を打ち消すかのように彼女は強気に言葉を続ける。
「早く縄を解きなさい!今なら冗談で済ませてあげるから」
そんな女教師陵辱作品に定番の台詞が、聞こえてきそうな一枚だ。
体操マットが敷かれている事からして、場所は体育倉庫か。
彼女をこんな酷い目に合わせているのは4人(枚)の不良生徒たち。彼らは、ただただ理不尽に押し付けられた、「担任女教師」と「不良生徒」という上下関係に不満を感じ、抑圧された感情を、いつか彼女にぶつけてやろうと機会を窺っていたのだ。
不良生徒たちは、あらかじめ用意していた麻縄で彼女を縛り上げ、足下に転がした。
さて、多くの女教師陵辱作品で、彼女たちの緊縛姿を見ることが出来る。しかしその大半は、無力者(生徒)が権力者(女教師)の反撃を封じる単なる手段として描かれるのみだ。そもそも教室内に麻縄を持ち込む事自体が唐突であり、“道具”が麻縄でなければならぬ必然にいかに説得力を持たせるか、そこが作り手の腕の見せ処であるはずなのに…残念ながら、その点を上手く説明できている作品に出会う事は稀と言って良い。
実は、拘束が強固であることは、標的となった女教師の「強さ」を暗示している。丹念に何本もの麻縄で彼女を縛り上げていく程に、不良生徒たちの女教師に対する畏怖の大きさを表す。それはすなわち、物語全体を通じてヒロインが堕ちて行く高低差に他ならない。だから教室での、ガムテープや手錠等お手軽な拘束は、これから堕とそうとする女教師の価値を、最初からわざわざ下げている愚行と言えよう。
もっとも、そういった意味づけや、緊縛美を愛でる余裕など、 “革命”の渦中にいる不良生徒達にあろうはずが無い。彼らが、縛りに反抗を封じる以外の役割を持たせる場面は、もう少し後。つまり“革命”が成功し、女教師の強みが一転、弱みとなった現実を自身が受け入れ、観念した時だ。もはや、彼女を物理的に拘束する必要は無いのだから。
女教師、小川亜美の攻撃的で鋭い目線は、未だ状況を理解できず、あるいは受け入れられず、匣の中の支配者で在り続けようとする、強い意志を示している。ゆえに、彼女は縛られる必然があるのだ。
“堕落”を受け入れず、未だ高美であり続けようとする女教師の姿を、今しばらく楽しもう。
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