先生は背を向けると、わたしを促すように先導した。
広い部屋の奥まった一角。
電球の光が、ようやく届くあたり。
美術の教科書に載ってた、レンブラントの絵を思い出した。
「面白い装置をお見せするわ」
先生は、パフォーマーみたいな仕草で、手の平を向けた。
でも、その手に示されたものが何か、わからなかった。
青いシートが被せられてたから。
ほら、工事現場とかにあるでしょ?
青い色のゴワゴワのシート。
電球の光が、シートの皺に染みてるように見えた。
「それでは、ご披露しましょう」
先生はシートの端を握ると、大げさな身振りで宙に抜きあげた。
青いシートの擦れ合う音が、思いのほか大きく聞こえた。
「何だと思う?」
見たことのないものだった。
大きな机に載ってる。
カメラが置かれてる机より、もっと大きくて、頑丈そうな机。
ほら、学校で『技術』の授業をする部屋があったでしょ。
大きな机が並んでる。
机っていうか、作業台よね。
がっしりした、柱みたいな脚が付いてるヤツ。
目の前にある机は、まさしくその作業台だった。
そこには、金属製の不思議な機械が載ってた。
言葉で説明するのは難しいけど……。
美弥子さんのお父さんって、釣りとかしない?
そう。
それじゃ、わからないかもね。
わたしの父は、海釣りが趣味でさ。
道具とかにも凝ってたの。
その釣竿に付いてる、リールって知ってる?
釣り糸を巻き上げる道具ね。
作業台の上に載ってる機械は、まさにそのリールに似てた。
キラキラと輝く金属製のドラムに、巻き上げ用のハンドルが片側に付いてた。
でも、芯に巻かれてるのは、釣り糸なんかじゃなかった。
飴色のロープが、幾重にも撚れ重なってた。
芯から出たロープは、斜め上方に向かって伸び……。
太い梁を渡ると、その先は、真下に下がってる。
これだけ見れば、リールの用途はなんとなくだけどわかる。
梁の下にある何かを、持ちあげる機械なんだって。
リールは作業台に、ただ置いてあるだけじゃなかった。
ボルトで固定されてた。
その作業台の脚も、分厚い金具で床に固定されてる。
たぶん、重い荷物を持ちあげるために。
でも、その荷物が何かは、わからなかった。
リールに掛けられてたと同じ、青いシートが張られ、ロープの途中から下を隠してた。
「この機械、何て云うかわかる?」
わたしは、クビを横に振った。
「これはね、手動ウィンチって云うの。
ウィンチって、聞いたことない?
4WDの車なんかにも付いてるけど……。
重いものを巻き上げる機械ね。
ま、普通のウィンチは、動力で巻き上げるわけだけど……。
このウィンチの場合は、まさしく人力。
このハンドルを、人間が回すのよ。
綺麗な機械よね。
ステンレスなんだって。
覗きこむと、顔が映るのよ。
でも何で、こんなものがここにあるか……。
わかんないでしょ?
それを説明すると長くなるんだけど……。
ざっと話しとくわね」
あけみ先生は、腰の後ろで腕を組み、作業台をゆっくりと巡りながら話し始めた。
「まずは、この建物のことからになるわね。
この妙ちくりんな趣味の建物は、後になって増築されたものなの。
3年前だったかな。
建てたのは、もちろん理事長。
あなたも、転入面接で会ったでしょ。
驚いたんじゃない?
若くて。
わたしより、2つ上でしかないのよ。
何で、そんな若くして理事長になれたかって云うと……。
前理事長の娘だからよ。
5年前、前理事長が急死したの。
代々、女系の支配する家らしいわね。
で、ヨーロッパに留学してた娘が呼び戻されて……。
理事長の椅子に座ったわけよ」
「前理事長は、立派な方だったわ。
わたしも、短い期間だけどその下で働いて、まさしく薫陶を受けた。
でもね。
その娘はいけなかったわね。
前理事長みたいな立派な教育者が、どうして娘をあんな風にしか育てられなかったのか……。
ほんと、不思議だわ。
ヨーロッパに留学ったって、怪しいものよ。
遊学の一種じゃないの。
遊び歩いてたんでしょ。
理事長を継いでしばらくは、大人しくしてたみたいだけど……。
そのうち地金が出てきた。
なにしろ、前理事長の夫は早死にしてて……。
一人っ子なわけよ。
早い話、遺産も独り占め。
ま、若くして、お金も権力も手に入っちゃったら……。
わたしだって、好きなことの一つや二つするでしょうから。
一概には避難できないけどさ。
でも……。
この建物は、やりすぎよね。
ヨーロッパのお城みたいでしょ。
ああいう建築物はさ、まわりの環境と調和してるから、素敵に見えるわけよ。
こんな、鉄筋校舎の隣に建てたら……。
学校に隣接してラブホが建ったみたいじゃない。
鉄筋校舎にあった理事長室が狭いって理由だけで、こんなの建てちゃうんだから……。
呆れるわよね」
先生は腰の後ろに手を組んで、講義をするように作業台を巡った。
ステンレスだというウィンチの地肌に、先生の姿が映ってた。
部品のカーブにしたがって、映る姿はさまざまな形に歪んで見えた。
別の世界が映ってるようだった。
「で、この部屋の話よ。
どうしてここが、こんな倉庫みたいな状態で放置されたのか。
早い話、予算オーバーね。
もちろん、当初の設計では……。
この部屋にも、ちゃんと用途が割り振られてた。
何だと思う?
理事会室。
文字通り、理事会が開かれる部屋よ。
それが、こうなっちゃったのは……。
まさしく、あの理事長のせい。
工事が始まってからも、次から次へと設計変更してさ。
あ、わたしね。
理事長から、工事の進捗状況をチェックする係に任命されてたの。
で、毎日ヘルメット被って、工事現場に通ったわ。
理事長が思い付きで指示を出して帰った後……。
現場監督の人は、資材を蹴りあげてたものよ。
で、業者の方も、当然余計なお金がかかってるわけだから……。
理事長に、変更契約を求めた。
ところが、一向に応じない。
実際のところ、ほんとにお金が無かったらしいんだけどね。
というわけで……。
業者も怒っちゃって、最後に残ったこの部屋の工事を止めちゃったのね。
でも、考えてみれば……。
いらないのよ。
理事会室なんて。
だって、理事会なんて形だけで……。
みーんな、理事長が決めてるんですからね。
で、この部屋は、内装に入る前の状態で放置されたってわけ。
でもほら、上見てごらん。
太い木の梁が渡ってるでしょ。
何本も。
それを支える柱も、あんなに太い。
あなた、チェーダー様式って知らない?
イギリスのチューダー朝時代の建築様式ね。
カントリーハウスによく使われてるわ。
ほら、高原のロッジとかペンションとかにあるでしょ。
真っ白い外壁で……。
柱や梁を塗りこめないで、外に見せてる造り。
白壁に、黒っぽい柱と梁が縦横に渡って……。
所々に、斜めの梁も入ってる。
絵本の中に出てくる、おとぎの国の家みたいなの。
なんとなくわかるでしょ。
ここの内装を、あんな感じに仕上げたかったらしいのよ。
で、骨組みとなる柱や梁が組みこまれたとこで……。
工事中止ってわけよ。
でも、ほら。
上、見てごらんなさい。
梁の上に鉄骨が見えるでしょ。
こんな外見してるけど、鉄骨造りなのよ。
だから、こんな立派な柱や梁も、結局は飾りってこと」
あけみ先生は、天井を差した指を下ろすと、作業台を回るのを止めた。
そして、わたしを真っ直ぐに見た。
「なんだか気分出てきちゃったわ。
講義を始めると、体の芯から火照るみたい。
ここ、蒸すのよね。
ねえ。
美里ちゃん。
ここから先は、特別講義よ。
授業料は取りませんけど……。
その代わり、講義にふさわしい身支度をしてもらいます。
この美しい機械が、なぜここに据え付けられることになったのか……。
それを語るわたしも、それを聴くあなたも……。
一対一の特別講義には、特別な衣装が必要なの。
と言っても、着替える必要は無いわ。
脱ぐだけ。
でも、真っ裸じゃ、衣装とは言えないわよね。
なので、脱ぐのは下だけ。
下半身だけ丸出しってのは……。
全裸より、ずっとラジカルな姿よ。
ヌーディストビーチって知ってる?
人々が、公然と裸で過ごせるエリア。
全裸になっても、恥ずかしくない場所。
裸になるのは、自然に還ろうって趣旨のわけだからね。
そこまで出来ない女性でも、上だけ脱いでトップレスで過ごしてる。
全裸か、トップレスの世界。
でもね。
絶対にいないわよ。
ボトムレスは。
なぜならそれは……。
高邁な主張とは無縁な姿だから。
そう。
まさしくそれは、変態そのものの姿。
わたしね。
ときどき休日に、学校に来ることがあるの。
忙しいわけじゃないのよ。
むしろ、忙しくない時期を狙ってる。
忙しいときには、ほかの先生も出てるでしょ。
ひとりになりたいのよ。
教員室で。
守衛室で鍵を借りるとき、何気ない声で聞くわ。
ほかに出て来てる先生はいる?、って。
「いいえ、先生だけです」
「そう」
本作品のモデル「岩城あけみ」の緊縛画像作品はこちらからご購入可能です。
《説明》
杉浦則夫の作品からインスピレーションされ作られた文章作品で、長編連載小説のご投稿がありました。(投稿者 Mikiko様)
本作品は7/13まで連続掲載、以後毎週金曜日に公開される予定となっておりますので、どうぞお楽しみに。
前作を凌ぐ淫靡と過酷な百合緊縛!「川上ゆう」さん、「YUI」さん登場予定作品です。
時を越え、再び出会った美里とあけみ。現在に戻った美里は、さらなる花虐へと誘われていく…。