私の恥ずかしい失敗 第2弾

ふたたびキャリア35年様より恥ずかしいお話しのご投稿を頂きました。誠にありがとうございます、シリーズ第二弾公開です。

さてさて私の恥ずかしいお話し第2弾。
たとえ不評でもやめる気はありません。

今回も前回と同じく、当時大好きだった漫画にでてきた〇ナ〇ーネタにインスピレーションを受けて実行してみた、実に画期的なやり方です。
その漫画では「壁」に穴をあけて、その中に第1回と同様コンニャクを詰め込んでいたすというやり方でした。
しかし探してみたところ当時の我が家には、穴があけられるような適当な壁は見当たらず。
ところが奥の床の間に、手ごろな位置に穴があけられそうな、太さもおあつらえ向きな床柱が見つかりました。
当時父は単身赴任していて、母も父のもとにお世話しに行っていたという、この画期的な方法を実行するにはまさしく絶好な環境下で、誰のおとがめもなし。
日曜大工が好きだった父の工具、穴あけ用の電動ドリル、ノミ、金槌、サンドペーパーから、はては中学の時に使ってた彫刻刀まで多々ひっぱり出してきて、何日か集中しての穴あけ作業。
肝心なのは、自分のナニのサイズに合わせた大きさ太さの穴を完成させること。

皆さんも、思春期にひょっとしたら「小さい」のではないかと気になって、自分のモノのサイズを測ったことが一度はあると思います。
私もご多分にもれず、勃起時に物差しを当て、巻尺で太さを確かめたことがあり、一応標準サイズとわかりほっとした経験がありました。
数日に及ぶ作業の結果、私のサイズに合わせ、入口はややせまく、奥は適度に余裕のある広さの、見事な穴が完成しました。

そしてまたしてもコンニャクの登場です。
その漫画の注意書きによると、コンニャクは包丁で切ったりせずに、必ず手でちぎって使う、ということ。
手でちぎってぐちゃぐちゃにしたほうが、膣の中の感触により近くなるから、という理由でした。
コンニャク温めも手慣れたもので、人肌よりやや高めに設定して、漫画の注意どおり手でちぎり、突っ込んだ時にモノ全体に適当にまとわりつくくらい大目に詰めこみました。
例によって下半身は丸出しにして、柱を抱きかかえるように、穴にズブッと突っ込んでみると、これが実になんともいえない期待以上の気持ちよさ。
さらに漫画では、女性の喘ぎ声が入ったエロテープを使用すると、よりいっそうの臨場感が得られるとありましたが、私は持っていなかったので、自ら一人二役の演技をすることでカバー。
この方法でひとりでやるときには、とにかく声を出すのが効果的なことを再確認。
柱の周りにグラビアを広げ、手にした1冊のお気に入りのモデルさんを餌に、腰を振り振り、入れたり出したり。
「そんなにお尻を振られるとたまらないぜ!」などと、SM小説や劇画の中のセリフを自ら再現。
時には外人になった気分で英語で、「You Are So Tight!Ah Ah Feel So Good!」「I’m Coming!!」などと、誰の目も気にすることなく、夢中になってのひとり芝居。
射精の瞬間には、当時大好きだったモデルさんの名前を大声で叫んでフィニッシュするのが恒例でした。
この最後の大声が、実にものすごい快感の高ぶりを呼ぶのです。
「葵~!!」「一美~!!」「じゅん~!!」「久美~!!」などなど。

まさしく両親も驚きの、鬼の居ぬ間の大洗濯ともいうべき悦楽の日々。
しかし数か月後、父が単身赴任から戻ってきて、なぜか家の建て替えを独断決行。
数か月を実に有意義に過ごさせてもらった、大恩ある大切な柱もその時にあっさりとり壊されてしまい、一巻の終わりと相成ったのでした。

450日の緊縛記録 表紙-撮影後記

美帆
2010年12月に最初の1枚を撮ってから、今日まで私の元には7000枚以上の画像があります。
当初は単に写真をとるだけでした。次第に枚数が増え、「世界で1冊だけの写真集を作ろう」ということが、気が付くと「電子ブックを作ってみよう」と事が進んでいました。
「先生と一緒に作品を作りたい」そんな想いで電子ブック製作に快諾したものの、どのようなものか私の中では全然分からず、想像もできなかったです。“とりあえず、文を書け”、そう言われて書いてみても、先生が納得するような文など書けず、何度も書く気力を無くしていました。文章力のない私にとって、心を動かすような文を書くのは難問でした。そのうえ、縛られている時の心の動きを…と言われても、記憶が無いのですから。画像を見て、必死でその時を頭の中に描き、書くしかなかったです。
電子ブックの画像を見て、文を読んで、先生と私の縄への想いを感じていただければ…と願っています。 
いつの日か、この電子ブックの画像を見ながら、皆様と談笑ができたら……素敵ですね。

杉浦則夫
この写真集は縄の拘束を愛しそれに酔いそれなくしては禁断症状をおこす美帆に体ごとあずけてみたら私にもなんらかの知るものがあるだろうと始めて1年半程も過ぎた。始めてからの数ヶ月の写真はなんら発表するつもりもなくおたがいの好き勝手を要求しあい写真にしていた。私は写真として面白いもの、それは黒髪の乱れの美。美帆はより強い縄目の責めを要求する喧嘩の絶えない450日。それがある時を境に発表する方向にむかった、そんな甘い態度でものが出来るのかとの疑問は残るが撮影をしおえた内から納得のできる写真を選び積み重ねて構成してみて「和室編」を完成としました。

私の恥ずかしい失敗 第1弾

私の恥ずかしい失敗 第1弾 コンニャクを使ってみました
久しぶりに投稿させていただきます。(キャリア 35年)
先日の縄会でお話しさせていただいた、若かりし頃の創意工夫に満ちた〇ナ〇ー話が、先生には大受けした様子なので、いくつか続けて恥も外聞もなく披露させていただきます。
あからさまにこのような話を投稿する向きを、いぶかしがる向きもあるかもしれません。
しかし、私のような本物の変態に恥やプライドを求めるのはどだい無理、仕事も辞めたので失うものもありません。
先生はカメラマンとして素晴らしい写真を、モデルさんたちはその素晴らしい肢体を惜しげもなく提供して、常に私を快楽の園へと楽しませてくれています。
いちファンの私が提供できるものといえば、自身の体験談ぐらいしかありません。
敬愛する先生やご覧の方々が、私の体験談でひと時の笑いと安らぎと優越感を得ていただけるなら、喜んで秘蔵のネタを提供いたしましょう。

私は10代のころから、好きなものといえばマンガ、テレビ動画(アニメ)、特撮怪獣映画という、今のオタクの先駆者ともいうべき、完全な運動オンチのインドア派でした。
モテる要素など何ひとつなく、女性とはまことに縁遠い存在で、あり余る若き性衝動は、すべからく自分で処理することが当然という少年。
趣味のマンガなどの影響を受けやすく、一応実行力だけはありました。
当時大好きだった漫画家の作品の一つがSEXネタ、〇ナ〇ーネタの宝庫でして、ある男女のSEXシーン中に、
「あなた今度はコンニャク責めよ」と、人肌に温め、真ん中に切れ目を入れたコンニャクを、男性のナニに突き刺し、プルプル動かして刺激を与える場面があり、その男の悦楽の表情が本当に素晴らしく、早速試してみようと思い立ったのです。
買ってきたコンニャクに、包丁で自分のサイズに合わせ切れ目を入れ、鍋でぐつぐつと温め、適度に温まった頃合を見計らい取り出し、パンツを脱ぎ下半身丸出し、いかほどの快楽がと期待に大きくなった愚息を、コンニャクの切れ目に勢いよく突っ込みました!
「熱ッチ~!!」
大変な勘違いをしてました。
外側はひと肌と感じたものの、中のほうはとてつもなく高温になっていたのです。
あわてて風呂場に駆け込み、勢いよく出した水をぶっかけて冷やす!
「しゃっこい~!!冷てー!!」
高温と冷水の連続攻撃に、私のナニはここまで縮こまるかと思うほどの極小サイズに。
しかも、敏感な薄皮の部分が軽いやけど状態でひりひり。
びしょびしょになったシャツに下半身丸出しの、あまりにも残念な姿の変態の図をご想像あれ。
普通なら自己嫌悪になっても不思議でないところですが、しかし一筋縄でいかないこの変態は、今度は突っ込む前に中を確認すれば良いのだと、再チャレンジを誓ったのでした。
その後、今度は切れ目の中の状態が人肌であることを入念に確認してから再挑戦してみましたが、結局この方法は、ちょうど自分の体を自分でくすぐってもさっぱり効かないのと同じで、自分でやってもそれほど気持ち良くはなかったのでした。
だいぶ後になって、彼女にやってもらったときは、うって変わってとてつもなく良かったです!
ポイントはやはり他人にやってもらうことにあるようで、予測できないコンニャクのプルルンとした動きが、えもいわれぬ快感で、一番敏感な部分でくるくる回された時には、回転運動に弱い私は、その気持ちよさにひとたまりもありませんでした。
彼女との夜の性生活に一工夫欲しい向きにはぜひお勧めします。
次回は、同じマンガからヒントを得ての第2弾、柱に穴をあけてやってみた、です。

先生、こんなお話でも本当によろしいのでしょうか?
杉浦 もちろん

紫月いろは 緊縛撮影感想文

三月後半に掲載された「紫月いろは」さんより撮影時の感想文を頂きましたので、掲載致します。

杉浦先生へ

送って頂いた写真、何度も何度も見ました。360枚を何度も何度も。

何から言っていいかわかりませんが・・・まずは先生に撮って頂けたこと、本当に嬉しく思います。

「奈加さんの緊縛で、写真はあの杉浦則夫!!」私にとっては贅沢すぎる時間でした。

あの撮影のあと、私はある意味燃え尽きました。「これ以上なにがあるのか?」と。

でも燃え尽きた反面「もっとこの世界、緊縛の世界で生きていきたい」と強く思いました。

今まで自分が何を求めているのか、自分の居心地の良い場所,自分の居場所は一体どこなのかを長い間探していました。

でも先生と奈加さんと一緒にお仕事をさせて頂き、やっと自分が求めていたもの,求めているものが見えた気がしました。

緊縛に興味を持ったきっかけは「AVの仕事で」でした。

もともと「SM」というものに興味がありました。
でもここでいうSMは、手錠をかけられたり目隠しをされるという「おあそび」のようもので、まだ緊縛というもの自体知りませんでした。

ある日、AVの仕事で緊縛ものの撮影がありました。
その時「これだ!!」と思いました。
それは、その「内容が」というのではなく、その「感覚」に対して「これだ」と思ったのです。
麻縄の感覚になんともいえない興奮というか・・・上手く説明できないのですが「これだ」と思ったのです。

そこから私はネットで緊縛について調べました。
調べて調べて調べて・・・色々な情報が出てきました。色々な緊縛師さんの名前も出てきました。

そして辿り着いたのが「緊縛師・奈加あきら」でした。

色々ある情報の中で私は奈加さんに「この人だ!!」という感情を抱きました。
「この人に縛られたい。でも私なんかじゃ・・・。でも縛られたい。」そう思いました。

その中で緊縛の写真を撮っている方々の情報も目にしました。緊縛写真も目にしました。

そして「杉浦則夫」という存在を知りました。
「この人の世界の中に自分が入ったらどうなるんだろう?でもきっと凄い人だから私なんか無理か・・・。」そう思いました。

そして月日は流れ、去年の12月。
色々な事情や想いから、所属しているプロダクションを辞めました。

その「想い」というのは「緊縛の仕事がしたい」です。

緊縛の仕事をするにはフリーになって自分でその世界に飛び込むほうが良いと思ったのです。
「AVでの緊縛もの」ではなく「本物の緊縛の世界」が知りたかったからです。
AVでの緊縛を否定している訳ではありません。
ただ私が求めているのはAVでの緊縛とは少し違うもののような気がしたのです。

フリーになるということは、良い面もあれば悪い面があるということも考えました。
「きっとなめられるだろう」,「悪いように使われるかもしれない」。
だけどリスクよりも「やりたいことをやりたいんだ!!」という思いが強かったのです。
どうしても緊縛の世界に入っていきたかったのです。AVの仕事はAVの仕事,緊縛は緊縛として。

私の中では「緊縛の仕事をするなら奈加さんと!!」というのがありました。
だけど「あんな凄い人と私なんかが・・・」というのがあったのでなかなか踏み出せずにいました。
AVメーカーの面接に行って「どんな仕事がしたいの?」と聞かれても「緊縛の仕事を中心に・・・」としか言えずにいました。

本当は「奈加さんと」と言いたかったのですが言えずにいました。
私なんかが奈加さんの名前を出すのは100年早いと思っていて・・・。

そんな時、色々な経緯があって知り合った業界の方に「どんな仕事がしたいの?」と聞かれ
いつもの様に「緊縛の仕事がしたいんです。経験はそんなにないんですが、緊縛LIVEなんかにも興味があって・・・」と話をしたんです。

すると「それだったら奈加さんを紹介しようか?」と返ってきたのです。

一瞬耳を疑いました。

でも迷うことなく「お願いします!奈加さんに縛られたいです!」と言っていました。

それから数日後、奈加さんを紹介して頂きました。

あっ、すみません、つい長くなってしまいました・・・。写真の感想を書くはずが・・・。
でも良かったらもう少し聞いて下さい。

それから奈加さんに面倒を見て頂けることになりました。それが去年の12月の終わりでした。
「もう今年も終わるから、一緒に仕事するのは来年からだな。宜しくな!」と奈加さんに言って頂き年が明けました。

そして今年の2月。
縄会にモデルとして使って頂けることが決まりました。

念願の奈加さんの縄。

緊張と嬉しさと・・・もう色々な感情が入り乱れました。

その縄会のとき、杉浦先生にお会いしました。
杉浦先生にお会いした時は緊張が走りました。
「わっ!凄い!!本物だ!想像してたよりなんだか可愛いおじさんだ!」と思いました。

そして縄会の終わり頃、先生が「写真やる?」だったかな?私に一言話しかけて下さりました。緊張していたのでその一言の記憶も曖昧です。

「えーーーっ!!私!?いいの!?私なんかが先生と!?」という心の声を抑え「はい!お願いします!」と言いました。

そしてその数日後、先生に写真を撮って頂く日が来て・・・。

奈加さんの縄も縄会でしか受けたことがないし、「先生の現場は厳しいよ~」と色々なところから聞いていたので撮影が決まってから当日のメイク中までもう緊張、緊張でした。

撮影が始まり・・・撮影は一言で言うならば「圧倒」でした。
「“可愛いおじさん”がこんな風になっちゃうんだ!」と。

多分先生がシャッターを切ってすぐ、それと同時に緊張の糸は切れたように思います。
その緊張の糸は複雑に絡み合っていました。何本も何本も。その中のどこかの一本がプツリと切れたのです。

緊張しすぎて切れたのか、それとも・・・よくわかりません。そしてまだ切れていない糸もある。

撮影中はとにかく先生の情熱に圧倒されました。

奈加さんや周りのスタッフさんはとても冷静だったのをよく覚えております。

一方には静かな空気があって、もう一方には熱い空気。

そんな中、私は「この空間には先生と私しか居ない」というような錯覚に何度も陥りました。不思議な感覚でした。

その不思議な感覚はとても心地の良いものでした。
緊張と不安と嬉しさと・・・なんでしょう、色々な想いや感情が入り乱れ、でもそれがなんだか心地良かったのです。

そしてそこに「これだ」と感じました。

もちろん厳しかったです。噂通りとても厳しい。先生は優しいけれど、でもとても厳しい空気,空間。

私は沢山涙を流しました。

何故涙が出るのか、何故泣いてしまうのかわかりませんでした。あの日の涙の理由は今でもわかりません。

きっと「厳しい」や「嬉しい」、そして「今まで外から見て憧れを抱いていた世界に今自分が居る」という感動もあったと思います。

だけどやっぱりわからない。

こうして先生に頂いた写真を見ていると「こんな風になってたの!?」という驚きがあったり
「こんな場面あった!?」と思ったり・・・。

そこに居るのは確かに自分なのに、自分を見ている感じがしないというか・・・なんとも不思議な感覚。

360枚を何度も何度も見る。あの時の感情や想いや空気感が蘇ってくる。また涙が出る。
先生の写真に感動しているのか、夢が叶ったことに感動しているのか・・・涙の訳はやはり分かりません。

「何故こんなにも緊縛というものに固執するのか?」自分に突きつけてみる。
色々考えて理由をつけようとする。
でも結局理由なんてわからなくて・・・「好きだから好き」となってしまいました。

いつかその理由が明確にわかる日が来るのか来ないのかもわかりませんが
「私はこれからもっともっと好きな世界に身を置いて生きていきたい、生きていこう」と先生に頂いた写真を見ながら思いました。

自分がこの世界に必要とされているかも分かりませんが・・・
それでもやっぱり私はこの世界、緊縛の世界に生きたいと思います。

先生に写真を撮って頂けたこと、本当に嬉しく思います。
「写真を撮って頂く」という機会を通してこうして自分の緊縛に対する強い思いを改めて感じさせて頂けたことにも感謝しております。

簡潔にわかりやすく感想を書くつもりがこんなに長くなってしまい申し訳ありません。
自分の思いや考えを伝えるのが苦手なので、思ったことをそのまま文章にしたらこうなってしまったということをどうかお許し下さい。

いつかまた先生に撮って頂ける機会がもらえたらいいなと勝手ながら思っております。

先生、本当にありがとう御座いました。

いろは

夫婦調教×緊縛桟敷

今回はモデル募集に夫婦で応募して頂いた今川砂織(仮名)さんです。撮影後記は当事者の感想と、旦那様からのコメントとさせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します。

杉浦先生、撮影に関わって下さったスタッフの皆様、過日は貴重な時間をいただき有難うございました。
光栄にも、杉浦先生に写真を撮っていただけると決まった時から、女優・モデルの方のように美しくない裸体を曝け出す不安とプロの縄師さんに責められる喜びとが入交眠れぬ日々が続きました。
私のSMへの想いがあったのは幼い頃の経験からです。まだ、小学校三年生の時、父と一緒に入った温泉の大浴場で見知らぬおじさんにお尻の穴に指を入れられてしまいました。「痛い」と恥ずかしがりながら小声で言うとおじさんは、「まだ無理か・・・」と去っていきました。その時は、まだ小さかったのでよく事態が理解出来ませんでしたが、中学生になった頃には、男の人に惨めな姿で征服されるこの出来事を思い出しては、何度も下半身が熱くなる思いをしてきました。
撮影中は、私自身の惨めな姿を想像し悪人に捕まり辱められる様、縄に身も心も委ね日常では考えしきれない程の大胆なポーズに挑み興奮と恥ずかしさのあまり失禁もしてしまいましたが、撮影終了の時には、「もっと甚振って」と心の中で叫んでいました。
撮影からしばらく日にちが過ぎましたが、今でも、縄捌きの音や縄の匂い・杉浦先生の声・カメラのシャッター音・沢山の方の熱い眼差し・蝋燭の熱さや匂い・鞭の痛み・縄が食い込み身動きが出来ず、恥ずかしい処を曝け出したあの日の出来事が現実の事だったのかどうか不思議な気持ちで一杯です。

最後になりますが、このような貴重な体験をさせて頂いた本当に有難うございました。
仮名 今川 砂織

10年近く妻を調教してきました。
杉浦先生の作品を初めて見たのは、10代の頃だったと思います。頭を金槌で思い切り殴られた様な衝撃であった事をよく覚えています。
私にとって今回の撮影は、本物SM夫婦によるS夫からM妻への仕上げの調教です。
惨めな姿、作り物ではない本物のM妻の姿をご覧頂きたいと思います。
杉浦則夫先生、奈加あきら先生、そしでスタッフの皆様、本当に有難うございました。
夫より