杉浦則夫緊縛桟敷で現在掲載されている川上ゆうさんを題材に書き下ろして頂いているコラムを掲載致します。本作品は、上中下の三部作となっております。
それでも男たちは、私の声などまったく聞こえてない風で、ますます早さをまして迫って参ります。私も必死です。ようやく追いつき、ゆうさんにしがみ付こうとする男を引き剥がすのですが、しばらくすると、また別の男が迫り次から次、私は同じ事を繰り返します。一人、また一人と男たちを蹴り落としていくたびに、その分軽くなった私と女教師は、速さを増して上へと昇って逝くのです。ああ、これで地獄とおさらばだ。これで現世に戻れるのだ。私はどんどん気持ち良くなって逝くのでした。ところが、でございます。眼下の地獄が小さくなり、いよいよ蠢く男たちも残りわずかになった辺りで、ふと、ゆうさんを見ると、彼女は今にも泣き出しそうに表情を歪めているのです。
もとより、彼女の美しい瞳は潤みがちでしたし、縄でギリギリと締め上げられた女の苦悶の表情と、快楽に溺れながら絶頂に達した女の表情は同じと申しますので、私は最初ゆうさんが、転生が近づいた事を悦んで感涙しているものだと思って居りました。ところが、彼女にすがろうとする最後の男を、蹴落とした時でございます。ゆうさんは声を抑えながらポロポロと大粒の涙を流しはじめたではありませんか。その時になって、彼女が浮かべていたのは悲しい表情だったのだと、ようやく気が付いたのです。ああ、この御方は私ばかりでない、全ての男たちの為に縛られているのだ。そう思ったのでございます。
そうしますと、私もなんとも悲しい気分になり、同じように涙を流しながら「ごめんなさい。ごめんなさい。」と念仏を唱えるようにつぶやきました。その途端でございます。今まで何ともなかった麻縄が、急に私のぶら下っている処から、ぶつりと音を立てて断れました。私は、今しがた昇って来た空を真っ逆さまに堕ちて逝ったのです。後にはただ現世へと繋がっているはずの麻縄が、ガランとした教室の中途に、女教師を吊るしたまま、ゆらゆらと揺れているのでした。
ああ、またあの居心地の良い処に戻って逝くのだ。地獄と思っていた元の場所こそが天国。そんな事をぼんやりと考えながら、長い長い落下を感じました。そして地べたに激突するほんの直前、私は思い出したのでございます。
ただいま、昇り詰める絶頂の向こうに転生を試みた世界。それは、遠い昔、なんの疑いもなく無邪気に自身の明るい将来を思い描いた世界。暖かい愛情に包まれた幸せな家庭を夢見た世界。悩みも、苦しみも、悲しみも、いつかは喜びに変わるものだと、疑うことなく信じた世界。そして、それら在りもしない幻想を私に錯覚させ続けた世界。
現世こそが地獄。
本作品で使用されている画像の掲載場所
緊縛桟敷キネマ館