偶然が撮らせた一枚、今私はこれを選ぶ
まず誰もが食い込んだ股縄に目を奪われると思う、つぶさに見つめるとわたしのわずかに盛り上がった大淫しの陰影はまるで少女のように初々しい、真っすぐ伸びた脚はつま先で全体重を支えようと足指を畳にくいこむがごとくに力をいれているその指のエロチック開き具合、爪先を下ろせば体を支える力は股縄にかかり容赦なく女の秘部を締め上げ責める、脚もぜんたいが見えるのではなく和服のかかりかたが視線をのぞき見させるような効果をもっている、私のきにかかるワンカット。
思い出
木戸銭を払ってストリップを見るのは50年ぶりのこと、東京に大学受験に来たおりに兄に連れられて浅草ロック街の浅草座をみた、座椅子50席ほどの小屋に150人ほど入り冬にもかかわらず人意気で暑かった、踊り子さんは20名ほどいた、初めて見る女の裸、うしろめたい恥ずかしさとピンクの照明に照らされた乳房のきれいさに圧倒され前にいるおじさんの肩越しに見つめていた、大きな舞台ではないが4、5人のバンドが入りチンドン屋を少しうまくしたような哀愁のある音を奏でていた、フィナーレには総勢の踊り子さんが息のあったかけ声と腰をふりふり狭い舞台をいっぱいに大輪の花をつくっていた。受験に失敗して九州を放浪しなんのことはないストリップ劇場で働くのであるが、その頃はソロ、群舞と振り付け師がいて演歌などの曲にのせた振り付けをしていた。今日のはすごかった、アップテンポに観客も踊りを盛り上げるように手拍子をする、このようにお客ののりがいいと踊り子のサービスがよくなることを客は十分心得ているようだ、(見上手)アゲハは空中に仕掛けた120cmほどの輪に脚を胴をからませ狂わんばかり激しくパホーマンスする、あまりに激しくスピードのある動きに落下するのではないかとヒヤヒヤ見ていたが、いっこうに平気なようで舞台に降りてもまたひときははげしく姿態をくねらす、半世紀前とはかくも変わり現在の見物は格段の差でみごたえがあるように感じた。
今日は7名の踊り子さんが出演していましたが私の時間の都合でアゲハ他1名を見ただけの感想です。
杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載
鏡堂みやび秘画展「南無阿弥陀仏遊戯」
いつ終わるとも知れない猛烈な残暑のさなか、地獄の断酒を続ける瀕死のアル中画家の生前回顧展開催中。
乞う来場御報謝。ただし酒類差し入れお構いだな。
みやび拝
緊縛の思い出 <1>
今でこそ緊縛大好きと豪語している私ですが、本当に好きと言えるまでには時間がかかっています。
ひと縛めでくずれ落ちた訳ではありません。
私の初縛られはプレイではなく、グラビアの仕事でした。SMに興味を持っていた私は、SMと名が付けば、どんな仕事も受けていたのです。(スカトロ系NG)
ビニ本の縛りでは、太い綿ロープでの縛り。何の感動もありませんでした。
弱小出版社のSM専門誌。私が、縛りに興味がある、と言った事により、次から次と縛りが展開され、
私は半ば、何がどうなっているのかついていけない状態でした。
その縛りはきつく私の身体にくい込み、
私の心の中に土足で踏み込まれているようでした。私は心が辛くなり泣きながら仕事を終わらせ、
「もう二度と縛りの仕事はやりません」
そう言い放ち、現場を去ったのです。
私は真剣に悩みました。私の想っているSMなんて無いのか。もっと精神的ではないのか。所詮
肉体のみなのか・・・。
ついに自分一人ではどうしょうもなく、友人に相談したのです。すると、
「まだホンモノを知らないからだよ。巧い縄をかけられて、緊張感のある撮影を体感しなければだめだ。
それを知ってから、もう一度考えなよ」
この友人は、当時まだ編集人だった中野D児氏。この助言が、私の人生観を変えたのでした。
そして私は、東京三世社「SMセレクト」と出逢うのです。緊縛濡木痴夢男、カメラ杉浦則夫。
二十歳になるか、ならないかの時でした。今思うと、本当にあの時、自暴自棄にならなくて良かった。
そして、心ない人に縄を掛けられ、この世界が瞬時に嫌いになった女性がいるかも知れない。
そう思うと、初縛りの大切さをよく考えて頂きたい。心からそう願うのです。
早乙女宏美 – フェティッシュバー Black Heart –
森川マリの緊縛画像を見て
日本人離れした、という枕詞があるが、
その言葉が実によく当てはまる凄いスタイル。
そのスタイルだけでも才能と言える。
10枚目、縄を掛けられて立つ姿だけでも、
マリの魅力は十分に伝わってくる。
これだけで絵になるというのは凄い。
しかし、そこから先、なかなかマリの内面が見えてこない。
何というか、美しすぎるのである。
デッサンモデルもこなしているというが、
まさにそんな感じで、仕事として臨んでいる印象を受ける。
とは言え、136枚目あたりの完成度は、
他のモデルでは得られない素晴らしいものだと思った。
167枚目あたりのポーズの美しさも、
緊縛美と呼ぶのが正解なのか、
それともマリの美しさに縄が巻きついているという感覚なのか、
もう少し、マリの内面、21歳の女の姿を見たいと思っていた。
それが少し垣間見え始めたのが、210枚目。
予定調和だった均衡が崩れ始める。
おそらく体力的にもそろそろ疲労が見え始める頃だったのだろう。
片脚を吊られ、アンバランスになっていく事に、
マリ自身の本能が、何かの警鐘を鳴らしていたのだと思う。
214枚目。
それまで見られなかった、不安の混じった表情が浮かぶ。
完全な吊りに移った時、その不安が的中する。
285枚目では、それまで見せる事の無かった苦悶の表情。
330枚目では、敏感なそこに食い込む縄に戸惑う表情が見える。
いよいよマリの内面が表に出てきた事で、現場に熱が入るのが伝わってくる。
食い込む縄に耐えるために、脚を折り曲げているのを、
厳しい指示で、脚を伸ばすように伝えられる。
そんな事をしたら、もっと食い込むのに・・という、思いが見える。
そう、読者はこれを待っていた。笑
そこから逆さ吊りに移行。一気にクライマックスへ。
見事なプロポーションと、厳しい縛りのコラボとなり、
理屈抜きで、迫力のある画像が続く。
吊られたまま、姿勢を変えられる。
体力の限界との真剣勝負。
394枚目。実に厳しい縛りながら、実にいい表情。
最初の頃にあったデッサンモデルの表情が消え、
「女:マリ」の表情だけが見えていた。
次なる機会があるのなら、
もう少しNGを緩めて、撮影に臨んで欲しい。
どんなシチュエーションを用意すれば、
彼女の魅力が120%引き出されるのか、
それは素人の私には想像も出来ない世界だけれど。
上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館で掲載中です。
杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載
緊縛blog – ぶん。