食虫花 ~美少女・内山遙~1

杉浦則夫の作品からインスピレーションされ作られた文章作品で、
全13話の長編小説のご投稿がありました。(投稿者 やみげん様)
本作品は毎週金曜日に公開される予定となっておりますので、どうぞお楽しみに!

本作品のモデル「内山遙」の緊縛画像作品はこちらからご購入可能です。

第一話【生餌】

(見られた…)

そう思った瞬間から、豊かで安定した、そして気ままな生活が、ガラガラと音を立てて崩壊し始める。
男は名前を林田と言った。この学校に勤める中年教師である。

女子更衣室に仕込んだ盗撮カメラ。そのバッテリーを交換する為の休日出勤だった。
土曜日は、補修授業や部活で他の教員がちらほら見える。だから、登校する理由が無い林田が校内をウロウロしても、誰に怪しまれる事はない。そして昼を過ぎる頃には、学校に残る人間は数える程となる。平日や日曜日に比べ、格段に“仕事”を進めやすいと言えた。
彼の“仕事”は盗撮だけではない。痴漢や援助交際、下着ドロもやった。世に言うトンデモ教師として申し分ない犯罪歴。それよりも糾弾されるべきは、教え子を押し倒し、辱め、そして脅かし、あるいは洗脳し、性奴隷とした事だろう。俗悪がそのまま現出したような怪物と言えた。

前に勤務していた学校では、担任教師と女生徒のただならぬ関係に、薄々気づいたクラスメイト達が噂にした。そして、それを聞いた彼らの父兄が、セクハラ教師ではないかと学校に乗り込んだ。
実際は、噂以上に酷い事を彼女に行っていたが、学校側の事情聴取に対し、被害者は、頑なに真実を話そうとしない。いや、あまりの汚辱に話せるはずもなかった。林田の巧みな言い訳もあり、ろくな調査も行われないまま、「誤解を受ける指導があった」と結論する。
そもそも学校は、このテの問題を隠蔽するのが常である。大事は小事に、小事はうやむやに。結局、彼をクラス担任から外しただけの、極めて軽い措置に留めた。だがこれで、疑惑が払拭された訳ではない。最終的に、彼は年度途中での転任となる。
このスキャンダルが原因で、妻とは別居という痛手を負った。しかし、男は反省するふうでもない。むしろ、「これ幸い」と思ったかもしれない。彼は常々、それら愚劣な行状を「仕事のストレス発散」と正当付けていたが、元々そういう資質を持って、あるいはソレ目的で教師と言う職業に就いたのは明らかであった。

季節の変わり目に蜜蜂が次の花畑に移動するごとく、至極当然に、新たな赴任先で少女の甘い蜜を啜る。
前任校で引き起こした問題が、転勤先で“仕事”の差支えにはならない。そういった点でも、学校は猥褻教師にとって真に楽園と呼べる場所だったのだ。
彼は、教室という閉じられた空間で、その統率者の地位を存分に利用した。女生徒達の無知に付け込み洗脳する。彼女らは自身が被害者であり充分に救済されるべき立場である事に気付かない。知らぬ間に歪な淫欲の深みに嵌り、汗や唾液、精液と愛液の滑りの中で、もがき苦しむのだった。

犠牲者の多くは、精神を病み卒業式を迎える事が出来なかった。妊娠し、秘密裏に堕胎させられた少女もいた。最も深刻なケースでは、自ら命を絶つ者まで。林田がその原因であることは、疑いようもなかったが、遺書も無く、誰かに相談した形跡も無かったので、真相は闇の中であった。
無事に卒業出来た者も、深刻なトラウマを抱え苦しむ事になる。先の被害生徒が口を噤んだのと同じ理由、すなわち肉奴隷への調教が、あまりにおぞましい変態行為だった為、この猥褻教師を世に告発する者は現れなかった。もちろん林田が、予めそういった危険の有る女生徒を避け、もっぱら内気であるか、家庭に問題を抱え、他に助けを求められない環境の生餌を狙ったからである。声を出せず、泣き寝入りした少女たちの怨嗟の念が、林田の周囲に漂っていた。

教壇に立ってはならない男。その本性が分かっていたならば、決して採用される事のなかった教師。林田が、今のクラス担任になって目をつけたのが、先程すれ違った女生徒、内山遙だった。

第二話へ続く

文章 やみげん
写真 杉浦則夫
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コラム「女教師 向島かすみ」下

【女教師 向島かすみ 】
新卒の小学校教師である向島かすみは、すでにクラスの男子児童達の性奴隷となっている。
省みれば稚拙で単純な罠だったが、お嬢様育ちの女教師はいとも簡単に堕ちてしまったのだ。
いまや、校内のいたる場所、教室はもちろん、廊下で、トイレで、体育倉庫で、小さな悪餓鬼の群れが、担任教師の肉体を求め、貪るようになっていた。そして、小さく細い未成熟な肉棒を精一杯硬くして、覚えたての快感を、かすみの中へとぶちまけるのだった。
そんな教え子たちとの禁断の淫戯を偶然目撃し、それをネタに女教師を脅迫してきたのが、目の前の醜い男なのだ。彼は、かすみの学校の用務員であった。

「我慢し過ぎると、ガキどもの前でお漏らしするハメになるからな!」
昼間、授業の合間の休憩時間だった。男は、いつもの階段下の用具室に女教師を引っ張り込む。そして、嫌がる彼女にイチジク浣腸を数個施し、次の授業に送り出した。
イヒヒヒ…きっとかすみ先生は授業を中断して、トイレへ駆け込むだろう。誰にも見られた事の無いお嬢様女教師の排便姿。アノ臭いにまみれ、恥辱に打ち震える姿を観賞しながらの言葉嬲りも面白い。汚物を出し切った処で、アナルを堪能するのも悪くない。

しかし結局。用務員の期待した悲劇は起こらなかった。
この辛抱強い女教師は、抗し難い便意に耐えて45分間の授業を乗り切ったのである。授業中にトイレに行けば、どんな仕打ちが待ち受けているのかは、容易に想像できる。これまで幾度の辱めを受けて尚、高美を保ち続けている彼女に受け入れられるはずも無かった。

女教師の強い意志と忍耐もまた、それを持たぬ男には汚すべき対象であったかもしれない。
その後、校内でかすみと二人きりになる機会を逸した彼は今夜、イチジク浣腸の何倍も強力な浣腸液と、それを注入する為のイルリガードルを持ち、彼女の部屋を奇襲したのだ。児童との痴態を写真に撮られ、それをネタに脅されている。これまで幾度と無く、用務員の破廉恥な要求に屈している女教師に、突然の私室訪問を拒む事は許されなかった。

児童達の無邪気ゆえ、時には痛みを伴う乱暴な凌辱も耐えがたかったが、この忌むべき男のネットリとした変態嗜虐には、心の底より嫌悪が沸いた。肉体からは、自然と拒絶の信号が発せられる。麻縄を掛けられるだけで、ザワザワと鳥肌が立ち得体の知れない汗が出た。ヤスリのように硬くざらついた指が柔肌に触れる度に、彼女は身をよじり、全身に纏わり付くような粘着から逃れようとするのだが、その様は男の加虐心を益々煽るばかりであった…。

羞恥にじっと耐える「女教師 向島かすみ」の、何と妖艶な事か。出来れば、いつまでも堪え、いつまでも苦悶に歪んだ表情を見ていたい気もする。
だがまもなく、敗北の音が鳴り響き、部屋中に汚臭が立ち込めるだろう。
官能の支配を拒み、高美にあり続ける女教師のプライドが瓦解する。その至福の瞬間を心躍らせ待つことにしよう。


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コラム「女教師 向島かすみ」中

【誤認】
さて、教室で縛られているわけでも無く、学生や学校職員が登場するわけでも無い。一見、一般的な、若い女性の私室である他の情報は見当たらない。では何故、向島かすみが女教師であると言えるのか?確かに清楚な教師の雰囲気を湛える女性ではあるのだが…。

実は、昭和緊縛史に収録されている彼女のシリーズは、「苦い旋律」「愛肛レッスン」等の他に、ズバリ「ピアノ教師凌辱」というタイトルが残されている。一応、“教師”である。
しかし、同シリーズのモノクロ作品「淫楽哀奏曲」では、副題に『-ミチコは19歳で悦虐に目覚めた-』と書かれおり、そうであれば、彼女はまだ大学生という事になる。また、肝心の「ピアノ」が、実際は「オルガン」であるタイトルの適当さ(もちろんピアノ教師が、オルガンを所有している場合もあるわけだが)を考えても、「ピアノ教師陵辱」だけで「女教師 向島かすみ」とするには、強引過ぎる解釈だと他人様に笑われてしまうだろう。

それとは別に。私には、彼女を女教師、それも小学校教師とする確信的根拠がある。手がかりは、ピアノとされたリード・オルガン(足踏みオルガン)だ。
誤認は、「ピアノ教師」とタイトルを付けた関係者だけではない。私も長い間、彼女の背後に置かれたものが、アップライト・ピアノであると思い込んでいた。不覚である。

大規模校では、音楽の専科教員が当たり前になったようだが、現在でも、担任教師が音楽の授業を行う小学校は多いはずだ。私の場合は、専科教員には当たった事が無く、クラス担任は音楽、美術、体育と、なんでもこなしたように記憶している。事実、自宅にオルガンを買い込んで、伴奏の練習に勤しんでいた先生が、昭和54年頃は沢山存在した。
かすみ先生が、そのような小学校教師の一人であったとしても何の不思議もあるまい。もちろん一般家庭であれば、ピアノ以外の鍵盤楽器が置かれている事は稀であった。

緊縛グラビアに話を戻す。
廃校などでロケが行われるのは、もう少し後。「女教師~」と銘打った作品に、黒板や学校机・椅子、教卓が頻繁に登場するのも平成を待たねばならない。とにかく、向島かすみが活躍した時代は、「女教師」を表現するのが難しい時代であった。せっかく教室風の撮影スタジオが存在する最近でも、それを利用することなく、当該モデルを女教師とする説明が全く欠けたまま、タイトルに「女教師」を戴いた不愉快な作品が少なくない。その事を考えると、当時のリード・オルガンは小学校教師を妄想するに破格の演出だったと言えよう
ありがたい。かくして彼女もまた、私の女教師妄想の中にラインナップされたのである。

それは大学時代に、教員採用試験の音楽実技に向けて、練習用にと親が買い与えたオルガンだったかもしれない。教師となった後でも、音楽の授業の前には練習を欠かさなかったに違いない。きっと、音楽好きなかすみ先生にとって、教え子らの元気な歌声を想像しながらの伴奏練習は、楽しいものであったろう。
そんな想いの詰まったオルガンの前で「女教師 向島かすみ」は、無惨に辱められるのだ。


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コラム「女教師 向島かすみ」上

【唆る肉体】

「何故、彼女を“女教師”としたのか?」
その答えは後に書く。

昭和緊縛史・第二集収録の「向島かすみ」は、昭和54年を中心に活躍したモデルさんだ。
「芳村なぎさ」という名前を憶えていたのだが、資料を整理していて「津田麻里」という名前も見つけた。当時、結構な露出であったので、きっと他の名前も持っているだろう。

ナース、女学生、テニスウェア…S女王様という設定もあった。とにかく作品数が多い。間違いなく、昭和の緊縛グラビア黄金期を支えた一人だと言えると思う。

その中でも、特に「苦い旋律」(昭和54年10月・SMファン掲載)のシリーズは秀逸だ。彼女の持って生まれた“唆る肉体”が、忠実に、あるいはそれに増して淫靡に写し撮られている。

不自然に上半身を反らされ、オルガンに縛り付けられた向島かすみに苦悶の表情が浮かぶ。
彼女から自由を奪う麻縄は、二の腕を回りこみ、半袖ブラウスの下に隠されている乳房を上下に挟み込んで掛けられている。その二筋の胸縄の間を弓状に走るストライプは、平面に転写されただけの2つの半球を、あたかも福与かに奥行きを持つように錯視させる。

私には、彼女の着るブラウスが、妄想世界の導入部として重要な役割を担っているように思えてならない。そのストライプ柄が、これ以上無いくらいの美しい曲線を縄間に描く事で、押し込められた肉体に若く瑞々しい弾力がある事を容易に、そして強烈に直感させる。見る者は、ここで知覚した心地よく浮き上がる美肉の感触を持続しながら、後に繰り広げられる縄濡絵巻へと感情移入していくのだ。

もう一つ。作品全体が「蒼」に支配されている。
画像自体が、シアンに寄っているという意味だけでは無い。スカートの水色、洗面器の青色。なによりも、エロスを象徴するかのごとく配置された、リンゴとオレンジの暖色の印象的な鮮やかさが、そこは「蒼い空間」である事に気付かせてくれる。
本作では、蒼の中に白い柔肌を縛り付けることによって、皮下に透ける微かな紅美をも浮き上がらせる。

残念ながら。向島かすみを撮った他の作品では、彼女の白肌は強調されていても、それ以上の生々しさを伝えてくれてはいない。紅美から滲む淫艶が、ブラウスによってもたらされた実体感と相まって、体温や体臭を伝え、比類無い肉体表現へと繋がっているのだろう。

指で押せば「ぷりっ!ぷにゅ!」と弾く、“そこに在る”肉体の感触。その効果が、計算された結果にせよ、そうでないにせよ、写真芸術の成し得た奇跡である事には変わり無い。


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コラム「女教師 小野亜美」下

【女教師 小野亜美】

絶望的状況であっても、強気を保ち続けることは、若い性欲の餌食となる女教師の必要欠くべからざる要件である。
「あなたたち、何をしてるのか分かってるの?これは犯罪よ!」
彼女も子供でない。生徒達の血走った目と荒い息遣いから、これから何をされるのか、おおよその想像がついた。恐怖を打ち消すかのように彼女は強気に言葉を続ける。
「早く縄を解きなさい!今なら冗談で済ませてあげるから」
そんな女教師陵辱作品に定番の台詞が、聞こえてきそうな一枚だ。

体操マットが敷かれている事からして、場所は体育倉庫か。
彼女をこんな酷い目に合わせているのは4人(枚)の不良生徒たち。彼らは、ただただ理不尽に押し付けられた、「担任女教師」と「不良生徒」という上下関係に不満を感じ、抑圧された感情を、いつか彼女にぶつけてやろうと機会を窺っていたのだ。
不良生徒たちは、あらかじめ用意していた麻縄で彼女を縛り上げ、足下に転がした。

さて、多くの女教師陵辱作品で、彼女たちの緊縛姿を見ることが出来る。しかしその大半は、無力者(生徒)が権力者(女教師)の反撃を封じる単なる手段として描かれるのみだ。そもそも教室内に麻縄を持ち込む事自体が唐突であり、“道具”が麻縄でなければならぬ必然にいかに説得力を持たせるか、そこが作り手の腕の見せ処であるはずなのに…残念ながら、その点を上手く説明できている作品に出会う事は稀と言って良い。

実は、拘束が強固であることは、標的となった女教師の「強さ」を暗示している。丹念に何本もの麻縄で彼女を縛り上げていく程に、不良生徒たちの女教師に対する畏怖の大きさを表す。それはすなわち、物語全体を通じてヒロインが堕ちて行く高低差に他ならない。だから教室での、ガムテープや手錠等お手軽な拘束は、これから堕とそうとする女教師の価値を、最初からわざわざ下げている愚行と言えよう。

もっとも、そういった意味づけや、緊縛美を愛でる余裕など、 “革命”の渦中にいる不良生徒達にあろうはずが無い。彼らが、縛りに反抗を封じる以外の役割を持たせる場面は、もう少し後。つまり“革命”が成功し、女教師の強みが一転、弱みとなった現実を自身が受け入れ、観念した時だ。もはや、彼女を物理的に拘束する必要は無いのだから。

女教師、小川亜美の攻撃的で鋭い目線は、未だ状況を理解できず、あるいは受け入れられず、匣の中の支配者で在り続けようとする、強い意志を示している。ゆえに、彼女は縛られる必然があるのだ。
“堕落”を受け入れず、未だ高美であり続けようとする女教師の姿を、今しばらく楽しもう。

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