永瀬あき 祭り姿で緊縛拉致監禁 緊縛桟敷掲載開始

Nagase_021永瀬あき杉浦則夫緊縛桟敷にて掲載開始。

永瀬あきを検索してみると膨大な動画の表紙画面が現れた、ロリコンの水着、制服は可愛い顔で微笑をつくっている。だが渋谷で遊ぶ少女のどぎついメイクの作品も多く見られた。今はこちらに永瀬の比重があるのかと不安にかられていた。
当日の朝の永瀬との初対面は意外な出会いとなった、小柄で礼儀ができている、握手を求められて手をとると小さな紅葉手は子どもの手をとったような柔らかな感触で不安はとんだ。

季節も秋祭り、少女の祭りのいでたちにあるエロチシズムはまばゆいばかりだ、少しきつめの化粧をし髪を結い上げて豆絞りの手ぬぐいをきりりと締めた姿、はちきれんばかりの太ももを晒して白いはんだこをはき、白足袋で少女たちが祭りの中を楽しげに浮き足だつ光景はわが股間もついつい楽しげになるものだ。
祭り狂いの奈加氏も拉致犯人として登場していただいた。下町育ちの永瀬は祭り好きとみえて衣装を着ると祭り気分でのりは最高、そこから拉致緊縛され、祭り囃子の聞こえる蔵に閉じ込められたあわれな少女になる。
拉致された恐ろしさに涙をながし蔵の窓辺に顔を寄せて救いを求めるのであるが、口をふさぐ固く結ばれた猿ぐつわで声がでない、ただ涙がこぼれるばかりだ。
こんな可愛い子の放尿シーンはぜひ見てみたいものだと頼んでみると快く引き受けてくれて、カットが変わるたびに『とめて!」と命令するときように止める技ももちあわせている。すべて疑似の演技はしたくないとのもとで小水を飲むシーンももちろん本人の生小水である。

今回は永瀬のリクエストで赤い襦袢を着たいということでテーマを2本組んだ。襦袢は似合うか疑問であったがメイクを直して襟を深く抜いた永瀬はすっかり色気だつ女であった。
AV女優はなんらの訓練も受けないで演技をするのであるが、ときどき真の女優のような演技の入りをする人がいる、永瀬もそんな一人であると思うが、彼女は縄が本当に好きなタイプだった。俺との呼吸がぴたりと合いカットをきざむ、おなかの丸い子どもの腹、股縄がかった陰部も子ども、クリトリスは小さく隠れている子ども、そんな子どもが芸者の色香をみせる。

永瀬あき杉浦則夫緊縛桟敷にて掲載開始。

涼 素人応募モデル後半 緊縛桟敷掲載開始

Ryo_180涼(素人応募マニアモデル)杉浦則夫緊縛桟敷にて掲載開始。

Twitterからの応募モデルさんでした、てっきり初心者かと思い面接してみると10年ほどの縛の経験があるとのことであった。みるからに聡明な顔立ちと清楚な衣服の好みは今回の屈辱の令嬢というテーマにはまっている、さっそく撮影の日取りを決めた。
昨年の家族の出かけた暑い夏の日に、私は涼しい風のとおる自室で蝉の鳴き声を聞きながらついうとうとと眠ってしまった。
夢見心地に人の睨め付けるような視線を感じて不愉快な思いで目覚めた、男の血走ったギラギラする目が息をこらして見つめている。怖くて金縛りにあったような身動きできないもどかしさのなかで、せめて助けを呼ぶ声を出そうとするのだがそれも叶わない、男になにやら布切れをむりやり口に押し込まれて口を塞がれてしまった。
顔に強い衝撃を受けて私は気を失った。性器に強い痛みがはしり足を広げる男の手の力で気がついたときには股間にねっとりとした感触があり不愉快な臭いがたちこめていた。私にはこうして義兄が初めての男。
両親が海外旅行に出かけた昨年の秋には勤めを終えて毎日やってきた、もともとまじめな義兄で姉以外の女は知らないようである。そんな日のある時から私を縛るようになった。
私は義兄の姉への優しさと円満な家庭をうらやみ義兄をあこがれの人と思うところがあった。たとえ不倫の関係でも処女を捧げた男、暴力のはてに私を犯した男でも大切な人、そんな人が喜ぶならばこの痛い縛にも耐えようとしてみた。
義兄は縛られた女の写真を見せながら慣れないてつきで縛る、写真には女の性器は写っていないがやたらと私の足を開いたポーズをつくる、そこを見たがる、私の恥じらいのうめき声をききたがる、私の背後にまわり私の性器を開いてなにやら自慰をする時もある。そんな彼を今は大切な愛しています。

涼(素人応募マニアモデル)杉浦則夫緊縛桟敷にて掲載開始。

緊縛への目覚め

「縛ってイカせる」という事に目覚めてしまった画像です。

ここからは写真を見て連想、というより妄想した内容です。
実際の状況や、現場の雰囲気とは違うかもしれませんが、ご笑納下さい。

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後手に縛られている、という事、
そして後ろの柱と、天井から吊られている事。
この時点で、ここから逃げる事は出来なくなっている。

そこから、右脚は太ももで吊り上げられていて、
更に、足首は外側に引かれている。

この時点で、脚を閉じる事はおろか、下ろす事すら不可能。
この状態からは、せいぜい足を外に蹴り出す事ぐらいしか出来ないが、
そんな事をしたら更に開脚されるため、必死で内側に閉じようとしている。

反対の左脚は体重を支えられるギリギリまで開脚されていて、
そして、足首は外側から引かれている。
脚を閉じたくても足首を縛られていて不可能。
逆に、開こうとすれば、腰が下がって股縄が食い込んでしまう。
(腰縄及び天井からの吊り縄と股縄は繋がっている)

そして股縄にはバイブが仕込まれていて、
そのスイッチは、目の前に置かれている。

そのスイッチを脚で払う事も出来ないし、
もちろん、手を使ってどかす事も出来無い。

もしも今、そのスイッチを入れられてしまったら・・・

じっと様子を見ていた男が、近づいてくる。
視線を逸らし、目を閉じ、次に起こる事に身を固くする。

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全ての縄に意味があり、無駄がない。
それを理解した時に、何かの目覚めを感じました。

そして、処刑を待つ女性の心境。
(処刑=恥を晒すという事)

縄に囚われる事を密かに望んでいた女性だったとしたら、
このシチュエーションだけで十分に濡れているはずで、
スイッチを微弱に入れられただけで、簡単に達してしまう事でしょう。

しかし、ひとつとしてラクな姿勢ではなく、
着地している左脚が少しでもズレたり、腰が砕けたりすれば、
その分、縄は容赦なく食い込むでしょうし、
それによって、この女性の持つ被虐性は更に責められる事でしょう。

そういう全ての事柄が連動していくさま、
それを本人も、見ている側も想像出来ているという状況。

ギリギリで保った秩序を、無慈悲に破壊するそのスイッチ。
それを入れる男の愉しみと、入れられる女の絶望と期待。
それを存分に感じさせて下さった一枚です。

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そういう機能美だったり、女性の機微だったり、
そしてその先の絶望だったり、を表現したいと夢見ていました。

このとき感じた思いを表現するために、
あのブログを今でも運営しています。

長文、駄文失礼しました。

この画像と文章は先生に見て頂ければ十分で、
その後は投稿ごと削除して頂いて結構です。

もし、万が一、ご許可を頂けるのでしたら、
上記に書いた思いを、私のブログに綴らせて下さい。
この写真と共に。
緊縛Blogでの掲載記事はこちら→<.a>

緊縛blog – ぶん。