投影 ~小林一美を求めて~ 微笑む女

第八章 、微笑む女

インターネット時代となり、私は孤独から解放される。少年の日、他者とは違った嗜好に気づかされた瞬間から続く、長く辛い孤独だった。

私が数十年かけて、苦労して収集した小林一美の様々な緊縛グラビア。それが現在では、ネット上に溢れかえっているではないか。
スキャンされた画像の海の中で、同じく彼女の魅力の虜となった先輩諸氏との出会があった。本をバラして、グラビアページをスクラップしている私には、どのタイトルが、何誌何年何号に掲載されたものか分からなくなっていたが、それも尋ねれば誰かが教えてくれる。やり取りの中で、初見の画像を目にする事も出来た。
良くないことではあるが、その返礼として初出の“お宝”を差し上げる事もある。そしてまた、それに対するお礼も頂いたりした。

小林一美の元素周期表は、効率良く、手にした喜びを味わう間もないほどの速度で、次々と埋まりだす。
飽き足らず、彼女の「全てを知りたい」という想いは、緊縛領域の外へも溢れ出していく。

はじめて、縛られていない彼女を見たのは「媚笑」という自販機本だった。ネットオークションで見つけた。
この時のモデル名は無い。まさに無名である。派手な橙の燕尾服に、網タイツ姿の彼女が私に向かって微笑んでいた。
発行年は未記載だが、昭和54年12月より前ではないかと推測した。
あの日、「小林一美」として私の前に現れた和服姿で縛られた女と、この微笑む女は、確かに同一人物だ。しかし同時に、縄と一体化し、緊縛モデルにとして昇華する以前の未完成な女である、との思いがあった。従って、緊縛デビューと思われる、黄色の和服「縄花一輪」より前でなければならない。

名無しの彼女が、どういった経緯で「小林一美」となったのか。初めて縛られた、その時の彼女の心情に思いを馳せると、なんだかとても切ない気持ちになる。
彼女も、同じ切なさを持ったかしら?
これほど長い時間、小林一美と共に生きて来たのだ。いつかは彼女の心の内も理解したいと願っている。

冒頭の、レズもの「マンパック」に辿り着いたのは、それから程なくしてからだった。

どうやら、未見の「小林一美」はまだまだ存在する様子である。すでに、一部情報も掴んでいる。後は、 “蜘蛛の巣”を張り、ひたすら彼女が現れるのを待つだけだ。
しかし、首尾よくそれらを手に入れたとして、私が新たに発掘された小林一美を公にする事は、当面無いように予感する。
あくまで“等価交換”、それが中学校時代、悪友とのエロ本交換以来の掟だ。少なくとも見渡せる範囲、すべての小林一美が手元にある私に、返礼の機会は巡ってくるだろうか?

いや、同じように考え、同じように行動し、私のまだ見ぬ小林一美を手にしている人間が、どこかにいると信じたい。
“彼”にとっては、「小林一美」でなく「高橋弘美」かもしれない。あるいは、私の知らない名前で呼んでいる事も考えられる。彼は、誰に知られる事も無く、ひっそりと、まだ見ぬ小林一美と生きているのだ。

どうです?グラビア交換しませんか。

確かな事は、小林一美は無数に存在するというこれまでの事実だ。
次から次に新しい彼女が現れる。これが最後という事が無い。求めても求め足りず、そしてそれが適っても満足する事は無い。これはまさに、人間の欲望の投影ではないのか?

否。断じて!
そのように薄汚いものであるはずが無い。

いまや下手すれば、娘ほど年下になってしまった小林一美だが、不思議に「年上の女」という感覚が、いつまでもある。年月を経れば経るほど、記憶の曖昧さと共に、彼女と小学校時代の女教師は同化していく。
そんな彼女の前では、私は少年へと戻り、しばし無垢な心を取り戻すのだ。

1人の緊縛モデルが持つ、魔性の虜となった憐れな男。
まだ見ぬ「小林一美」探し求めて、私は今日もさまよい生きるのである。

投影 ~小林一美を求めて~ おわり。

投影 ~小林一美を求めて~ 女教師

第七章 、女教師

実は一度、それまで集めていた緊縛グラビアを全て喪失している。
私の不注意であった。思い出すたび辛くなるので、細かくは書かない。
もちろん「小林一美」の膨大な緊縛画像群も含まれていた。現在手元にある彼女のグラビアは、その後から再び収集した、いわば二代目「小林一美」なのである。

“魔性”は続いている。

私は深く靄の掛かった沼地をさ迷う。朽ち果てた小屋が見えた。中に入ると中学校時代の本屋だった。書棚に、礼服姿で縛られる彼女、それが「淫靡な書道」と気づき、そこで目が覚める。
連夜、同じ夢を見続けた事もあった。礼服の小林一美は、この時まだ二代目が現れていない。

急き立てられるように、行く先々で古本屋を覗いていった。記憶をなぞりながら、徐々に失った彼女を取り戻して行く。すでにアダルト本は、古本屋といえどもビニール包装が当たり前となっていたので、中身が確認できないセレクト誌には難儀した。

失ったものから取り戻す事を優先したのに加えて、小林一美の活躍した年代の雑誌が、「古本」から「プレミア本」へと移行し、徐々に高価なものになっていったのも、未見の彼女の発見を遅らせていた。

私は成人となっている。

「凌辱女教師」
新刊として手に入れた昭和62年SMセレクト7月号に、1ページだけ収録されたこのタイトルの元画は、喪失前には未見であった。また、その存在を予感させるモノクロ画像も記憶にない。

そこでの小林一美は、ワルの餌食となった新人教師であった。
身が切られるほど締め上げられた股縄。乱暴に乳房を揉みしだかれ、苦痛にゆがんだ顔。うめき声とも喘ぎ声とも付かない彼女の声が聞こえる。

驚いた事に、赤いベストにタータンチェックのスカート姿は、彼女に良く似た小学校の担任教師の服装と同じであった。私が最初に妄想した女教師。
背景が、小部屋と教室の違いはあっても、同一人物かと疑うほど、その全てが酷似していた。

初掲載はいつだ?
同じ出版社、セレクト誌が疑われた。

55年近辺の雑誌に掲載されているバックナンバーを頼り、元画「乙女の肉餐」に行き着く事が出来た。この時の名前は「笠井はるか」。どういった理由で、文字だけの情報からソレが「小林一美」と特定できたかは未だ謎である。
大阪梅田の古本屋で、掲載誌を見つけたときは、嬉しさのあまり、店主に感謝の言葉を述べた。それまで何百と古本屋を巡ったが、店内で誰かに話しかけたのはこれ一度きりである。
ありがとうございます、ありがとうございます、何度も頭を下げて店を出た。

こんなに近くにいたのですね。
2月号ということは、まさに初めて白い着物の彼女と出会った頃である。担任教師にダブらせたはずの彼女だったが、女教師・小林一美はその時すでに存在したのだ。

運命に、鳥肌が立った。

その後、ある事で故郷を追われ、財産の大半を失った時も、私は決して彼女を手放す事は無かった。

おそらく、三代目「小林一美」が現れることは無いだろう。

投影 ~小林一美を求めて~ セーラー服

第六章 、セーラー服

「おそらく…」
このモノクロ画像があるという事は、必ずそのカラー作品が存在するはず。
また、1タイトルに別バージョンがいくつも存在するのも常であったので、掲載雑誌の直後に発行された写真集には、同衣装で別タイトル掲載の可能性が高かった。
なにか、元素の周期表を埋めていく調子で、「理論的には…」と未発見の画像を仮説し、探索する日々であった。

縛りモノではない、モノクロの小林一美がいる。
たった1ページ。セーラー服姿の彼女は、股を開き手淫に興じていた。
やはりモノクロで、同じセーラー服で縛られた姿が、今度は小さなカットで目次に張られていたりもする。他にも、読者投稿欄に、印刷ドットが丸見えの荒い挿入写真が数点、確認されていた。いずれも、SM誌に掲載されたものである。

私は、これら画像から、セーラー服で緊縛された小林一美のカラー作品の存在を確信し、熱心に探し回った。
が、ついに見つけることが出来なかったのである。自力では。

一昨年、そのどうしても埋まらなかった、セーラー服緊縛のカラーグラビアを所蔵する先輩に出会った。「小林一美」に関して、私ほどの“コレクター”はいないだろう。そう、長く慢心していたが、世の中上には上がいた。

タイトル「少女は媚薬」。
掲載は昭和56年SMセレクト8月号らしい。手元のモノクロのセーラー服より、1年ほど後に発表されたグラビアだった。

捜しに捜し求めたセーラー服緊縛の小林一美。

先輩から頂いた彼女は、それまでの小林一美よりも“疲れて”見えた。いや、“くたびれて”といったのが正直なところだ。目に精気が感じられなかった。
心がざわついている。新たな彼女との出会いを喜ぶよりも前に、別な感情があった。

実は、彼女のセーラー服姿は、もう一つ存在する。
「媚薬」のセーラー服は白スカーフであったが、赤スカーフの作品をそれより前に入手していた。

「SM淫獣群」は、単体ではないものの、かなりのページ数を彼女に充てた写真集である。一連の元素周期表に沿った推理とは無関係に、初めて寄った古本屋で偶然発掘した。
これまでのどの作品よりもレイプ感があった。だが残念な事に、ちゃんと縛られているにもかかわらず、いわいる「緊縛美」といったものは皆無だった。
多くのSM写真集と同じA5のサイズではあるが、自販機本のある種の“下品さ”も併せ持った内容であったと思う。

小林一美のセーラー服に共通して言えることは、拭い難い「違和感」だ。
私は、彼女を小学校の担任教師に重ねていたから余計にそう感じるのかもしれない。いつまでも“年上の女”である彼女に、セーラー服は似合わないのだ。どうにも、グラビアの中に気持ちを入れ込むのが骨であった。

「淫獣群」もまた「媚薬」の小林一美同様、どこか疲れている。
確かに彼女は表紙を飾っていたが、注意深く探していないと、見落としたかもしれない。それほど、これまでとは受ける印象が違っていた。

55年発表のタイトル数を見る限り、彼女は大忙しであった。もちろん、その後も現在に至るまで、未発表の画像は度々リリースされているが、実際の活動時期は、長く見てもこの年と前後半年を含めた2年ほどでなかったかと思われる。

おそらく、2つのセーラー服作品は、その最後の頃に撮られたのではないか?彼女の疲れきった表情から、そんな事を考えたりするのだった。
不覚にも、緊縛モデルとしての小林一美を気遣う。その時代をリアルに生きた、名を知らぬ“彼女”の存在を意識した。

私の作り出した淫靡な妄想世界から、現実世界へと彼女が帰っていく道程。
そんな彼女のセーラー服姿だった。

投影 ~小林一美を求めて~ 古本屋

第五章 、古本屋

なるべく嵩を減らさねばならない。
問題は写真集や雑誌を入手しても、その隠し場所が無いことであった。部屋は与えられていたが、プライベートなど何の保証もない年齢であり、これは少年にとっては大問題となる。購入資金を親からどう頂くか、よりも深刻と言えた。
結果。
嵩を出来るだけ低くし隠し易くする事で、親の目から逃そうと決めた。
私は「小林一美」と、ごく数人のお気に入りのモデルを手元に残す一方で、大半のページを捨てていったのだった。写真集、雑誌の区別は無い。
シュレッダーのごとく、ハサミで細かく細かく切り刻んでゴミにした。今思えば、なんと勿体無い!なんと残酷な作業!
その後の私の人生が苦難の連続なのは、ひょっとしてその時捨てられた彼女たちの怨念のせいかもしれない。

以上余談。

高校生となった私の、小林一美探しの主戦場は古本屋であった。休日は、目ぼしい古本屋の梯子が常となる。身分が身分であったので、なんと言っても安いのが助かった。
時に、他のモデルに浮気する事もあったが、限られた予算の中では、なにより小林一美が優先される。雑誌の投稿欄に、小さく切り取られた彼女を発見した。そんなものまで片っ端であった。

途中、雑誌の撮影同行記で、彼女が業界著名人の奥方様であるとの記事を読んだ。後に、これは誤報と判明するのだが、その時は「人妻・小林一美」をリアル世界に想った。
また、「小林一美」の名前で、ポルノ映画に出演が決まったとの記事も憶えている。その記事近辺に上映された映画がビデオ復刻される度に、キャストをチェックするのだが、それらしい名前をみつける事は出来なかった。

ここで、自販機本「美人OL・蜜虐」(美女・呪縛)の存在を記しておく。

裏表紙で、藤色のブラウススーツの彼女が、縄で作られた巨大な蜘蛛の巣に捉えられている様は鮮烈であった。後手に縛られているわけでも、胸縄が掛かっているわけでもない。しかし、緊縛愛好者の深層にある情景を見事に表現していたと思う。

この時のモデル名は「小林一美」。一冊全部が彼女だ。それだけで本を抱きしめたくなった。
A5、B6の画像サイズでしか彼女を知らなかった私にとって、刺激的だったのは、一回り大きな自販機本のB5の紙面だった事だ。彼女の肌感をよりリアルに感じる事が出来た。

ドラマ仕立ての内容で、彼女が性奴へと落ちていく過程が順を追って描かれている。男優との絡みもそれまでの緊縛グラビアには見当たらない。
自ら想像力をめぐらせ、緊縛姿の彼女と戯れるSM雑誌の系譜とは違った興奮を感じた。

野外撮影のカットも、それまでに無いものであった。冒頭、彼女はビルの屋上で着衣のままオナニーにふける。
最近になって、30年前にそれが撮影されたと思われる東京西池袋のビルを探し当てた。今度機会があれば訪問したいと思う。
聖地巡礼のごとく、時を越えて彼女の気配に触れる事は出来るだろうか?

「蜜虐」は、SM雑誌およびその周辺とは、全く別に突如現れた“大物”であった。

以降、私の小林一美探しは、自販機本をも含むことになる。案の定、「蜜虐」の小林一美が、別な自販機本の表紙を飾っていたり、といった具合だ。

これは、彼女の存在する世界、彼女を探求する世界が爆発的に拡大したことを意味する。
古本屋の本棚も、天井近くから足元まで、これまで以上に丹念に確認する必要があった。

終わりが見えなくなっていく。

投影 ~小林一美を求めて~ 礼服

第四章 、礼服

後になり、昭和55年中(正確には54年12月から)の小林一美の緊縛グラビアは、和服と洋服が偏ることなく発表されていた事を知るのだが、私の場合は、たまたま白い着物、朱色の振袖と和服先行であった。

記憶を整理すると、洋服の彼女と出会うのもさほど時間を置いていないはずなのだが、それだけ私には、強烈な印象だったのだろう。きっと、「花筐」を捲るたびに、彼女との濃密な時間を感じていたに違いない。ともあれ、「小林一美=和服」のイメージは固まっていた。
それだけに、洋服を着た小林一美の登場には、完全に不意を突かれたのだった。

彼女は、黒い礼服姿で現れる。

派手なコサージュからすると喪服ではないらしい。背後の闇に溶け込むような黒い礼服は、肌の白さを際立たせていた。はじめて目にしたパンスト姿は艶かしく、その薄い生地越しに、小林一美のあの吸い付くような柔肌を感じる事が出来た。
彼女は、吊られ開脚させられて、苦痛に、あるいは恥辱に顔を歪めている。浮き上がった肉体を遮るものはない。3次元空間を存分に使った縛り、それを切り撮った画像に、私は興奮するばかりであった。

和服同様、礼服姿の小林一美もまた、見事に縄を着こなしていた。
彼女の衣装棚が埋まっていくほどに、「肉体と縄は一体」という確信はますます深まっていく。

本屋ではなかった。
掲載誌は、雨上がりの空き地で発見した。友人宅へ続く抜け道に入る手前、見覚えのある雑誌が草むらに捨てられているのが見えた。表紙に小さな蝸牛がくっ付いていたのを、生々しく憶えている。
私は人目が無いのを確認すると、急いで中身を見る。濡れてヘロヘロになったページを、破れないように丁寧に捲ったところで、その小林一美を発見した。

開脚姿で吊られている事から、55年SMセレクト4月号掲載の「淫靡な書道」のほうであると思われる。

8月にも、「嗜虐の風が媚肉を擽る」というタイトルで、同じ礼服姿が掲載されている。バナナフェラが印象的で、これも強烈な印象を残した作品だが、こちらには吊られているカットは存在しない。

「淫靡な書道」では、小道具として配置された、彼女の自筆と思われる(あるいはそういう設定の)「松竹梅」と書かれた書道作品。そこには、「小林一美」と署名されている。一方の「嗜虐の風」に、「小林一美」なる署名が確認できるカットはないので、先にこちらのタイトルに出会っていたなら、あるいは「小林一美」は「小林一美」でなかったかもしれない。

ともかく。

私はそのセレクト誌を握り、友人宅とは反対方向へ歩き出した。 息が弾んだ。
そのように捨てられ、汚れてしまったものを、後生大事に持ちかえるなんて!

その頃、捨てられた自販機本を目にする機会は珍しくなかった。大半は、雨に濡れ日に焼け、ページも破れて本としての体裁を失っていたが、なかには捨てられて間もない、綺麗なままのものも見られた。それでも、手に取る気にはならない。本というより、やっぱり“ゴミ”に違いなかったからだ。
初めて拾ったエロ本が、セレクト誌。しかも彼女が掲載された号だった。その時はなんの不思議も感じなかったが、後年振り返り、つくづく奇跡的なめぐり合わせだと思った。

「今なら…」と考える。
もし、捨てられた小汚いエロ本に、小林一美の画像が掲載されていたら。

やはり持ち帰るだろうな。うん、これは断言してもいい。