夫婦調教×緊縛桟敷

今回はモデル募集に夫婦で応募して頂いた今川砂織(仮名)さんです。撮影後記は当事者の感想と、旦那様からのコメントとさせて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します。

杉浦先生、撮影に関わって下さったスタッフの皆様、過日は貴重な時間をいただき有難うございました。
光栄にも、杉浦先生に写真を撮っていただけると決まった時から、女優・モデルの方のように美しくない裸体を曝け出す不安とプロの縄師さんに責められる喜びとが入交眠れぬ日々が続きました。
私のSMへの想いがあったのは幼い頃の経験からです。まだ、小学校三年生の時、父と一緒に入った温泉の大浴場で見知らぬおじさんにお尻の穴に指を入れられてしまいました。「痛い」と恥ずかしがりながら小声で言うとおじさんは、「まだ無理か・・・」と去っていきました。その時は、まだ小さかったのでよく事態が理解出来ませんでしたが、中学生になった頃には、男の人に惨めな姿で征服されるこの出来事を思い出しては、何度も下半身が熱くなる思いをしてきました。
撮影中は、私自身の惨めな姿を想像し悪人に捕まり辱められる様、縄に身も心も委ね日常では考えしきれない程の大胆なポーズに挑み興奮と恥ずかしさのあまり失禁もしてしまいましたが、撮影終了の時には、「もっと甚振って」と心の中で叫んでいました。
撮影からしばらく日にちが過ぎましたが、今でも、縄捌きの音や縄の匂い・杉浦先生の声・カメラのシャッター音・沢山の方の熱い眼差し・蝋燭の熱さや匂い・鞭の痛み・縄が食い込み身動きが出来ず、恥ずかしい処を曝け出したあの日の出来事が現実の事だったのかどうか不思議な気持ちで一杯です。

最後になりますが、このような貴重な体験をさせて頂いた本当に有難うございました。
仮名 今川 砂織

10年近く妻を調教してきました。
杉浦先生の作品を初めて見たのは、10代の頃だったと思います。頭を金槌で思い切り殴られた様な衝撃であった事をよく覚えています。
私にとって今回の撮影は、本物SM夫婦によるS夫からM妻への仕上げの調教です。
惨めな姿、作り物ではない本物のM妻の姿をご覧頂きたいと思います。
杉浦則夫先生、奈加あきら先生、そしでスタッフの皆様、本当に有難うございました。
夫より

管野しずか×緊縛桟敷

管野しずか「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。
私が女の裸を覗き見たのは小学生の夏休み、営団住宅の親戚の家に遊びに行っているおりでした、隣の家は小さな庭越しに開け放った部屋がすっかり見えるような作りでした、私は夏の朝の爽やかな光を窓越しに隣家の窓を見つめていると突然裸の成熟した女が窓を開けて朝陽を身体に塗り込むような仕草で佇んだ、キラキラと輝く乳房、小麦色の肌、胴回りのくびれの真ん中にある臍、初めて見る女の裸の美しさ見せたのは隣家に遊びにきていた婦人の妹さん。
そんな記憶をもとに下着を着替える女から撮り出してみました、覗きの楽しみは視姦者の熱い眼差しが開放された日常生活にある女に透明人間のごとく絶対にきずかれることなく女の仕草と同調しながら興奮を高めるところにある、そんなシーンを管野は艶めかしく創ってくれた、彼方を見つめる寂しげな横顔の美しさをみせてこれから始まるドラマの用意をつくる。
厳しく縄とめされた腕の血流は徐々にとまりなをも重なる責め縄の痛みが美しい顔に苦しみの波紋をひろげる、身体の奥深くからはく海女の口笛の如き音色の一つ一つに美しき顔はくずれ被虐の美が深まる
管野しずかの美しさははかない蜻蛉(かげろう)の美だ、だが被虐に堕ちるしずかは真っ赤な夕陽が水平線に堕ちる神々しさ表す、最後の光を水平線に落す哀しげな旋律、愛の意味を哀しさに封じた女、痛みを性的服従にする女、ここに写る股間のほとばしりはなによりの証。
管野しずか「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

高沢沙耶×緊縛桟敷

高沢沙耶「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。
とても変わった子ですが、ボディーラインは素晴らしいです。変わったといいますのは人みしりが酷く現場にとけこめなくなると内向的になり、撮影がなげやりになってしまったことがたびたびありましたとマネィジャーはいうが、久々のそそる肉体を見せられてのがすわけにはいかない。
もともと緊縛撮影に適したモデルは少々癖のある子がむいていると過去の自信をもとに撮影にふみきる。慎重に高沢の緊張をほぐしこの子の感覚にとけこむようにして撮影を始める。この瞬間が今日一日の結果をしらせるとても大切な時だ、撮影時の第一印象だ、互いの感覚にずれがあるならばこちらからすりより、モデルをフォローするのが常套手段だ。だがモデルの緊縛にたいする理解がまるでないと、のれんに腕おしになってしまう、少しの戸惑いが以前ならばモデルの股間に猥褻感を求めたのであるが、この時期は緊縛の凄みは開脚によってそがれてしまうという思い込みがあり、ひたすら自分の想いをつきとおしてしまった、ああこれほど男心をそそる肉体のもちぬしにあってと、またしても反省する。
だがだが高沢はとても素直な子です、ちょっとトイレに行かせて下さいというのを、そこのオマルにしてみようかともちかけると「はい」と少し躊躇しながらも排泄シーンをつくってくれて小水をトイレに捨てにいくのであった、またまた調教ならばなぜにその小水をあびせて飲ませないのか、波長が狂っているときはアイデアも枯れる。成熟な美乳から流れる曲線の美しさをひたすら求めるべきだした。

高沢沙耶「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

紫月いろは×和服×緊縛桟敷

紫月いろは「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。
その日の写真の出来映えのよしあしは最初のカットを撮った感じで決まる、紫月いろはがたたずまいをそろえてこの旧家の居間に佇んだ時私はアングルを選ぶ事なくいろはにむけていた、ファインダーにまるではめ絵の正確さでいろはがある、不思議なことに1ミリの構図の狂いを許さないほどにいろはがある、いろはと私の間にある緊張した静寂はすがすがしく心地いい、私のオーラは私の内にありいろは緊張をくずさない、この関係性は写真家のもつ独特な空気感であろう。
撮影当日は庭一面に昨夜らいの雪がうっすらと積もる寒い日でした、メイクをしながらのいろはがいうには昨晩雪の降るなかで自縛して下着で外にいてものすごく寒かったが雪のなかで一度縛った体を晒してみたかったという、自分で縛っているのだ、だが今日は自縛とはくらべものにならないほどきびしいと聞いて緊張しているそうだ。
最初の予感どうりにいろはは撮影が進むに時の経過とともにこの子は緊縛の世界に身をおく子と実感がわいてくる、縄に身をゆだね素直に痛さを感じそのさきになにを想像しているのかわからないが艶やかな太ももをくねらせて私の感覚をたかぶらせる。そんな感覚にある見方でいろはの顔を観ると浮世絵師春信えがく女のようであるがふとした時少女のような顔が現れるのが不思議だ。
今後の展開を楽しみにしています。

紫月いろは「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。

若菜亜衣×卒業式×緊縛桟敷

若菜亜衣「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。
前回は女学生の設定でお願いした、緊縛撮影は初めてでしたので表情をひきだすのに苦労した、もともと亜衣の顔立は苦悶とか妖艶さを求める顔立ちではなく素朴な可愛らしさを写しこむのがいい、たまたま前回の撮影で緊縛が本当に痛かったのか、まぶたをはらして大粒の涙を流した可憐さをもういちど撮ってみようとシーズンに合わせて卒業式の設定にした。
私たちの若い頃は卒業式の装いは矢絣にはかまとハイカットの靴というのが一般的でしたが今はずいぶんと華やかになった、それを亜衣に着せてみると可愛い顔立ちにぱっと花が咲いたようによく似合った。亜衣自身来年には本当の卒業式でこんな衣装を着て参列するのだろう。 
涙とよだれと鼻水がなぜか苦悶の表情と同じように重要な表現になっている、前にも書きましたがよだれと鼻水が緊縛すきな女性の絶頂感とリンクするのが不思議だ。
私の見解ではこれは10年ほど前からおこってきたことだと不思議がっている。
さて亜衣をとりまく経済的な環境の厳しさを伝え聞いた先入観からか今回の撮影での亜衣の涙に自身のあわれさが見て取れるようになった、前回は即物的な痛みから流す涙今回はそれに心が経済的な金銭を大学の授業料をこのようにして衆目のなかで裸を晒し稼がなければならない涙、あわれに流れ落ちる涙のうちに亜衣の悲しみにふれてこの写真を観てください。

とても従順な性格で撮影現場のうけはどの現場でもとてもいいとマネージャはいう、たしかに今日も足首にひどい縄痕が残るほどに吊られているのに涙は流してもこごとは一言もきかない、休憩時間にはスタッフが「だいじょうぶ」と心配そうに問うと笑顔で可愛く「はい」と答えていた緊縛好きな女性を撮影する修羅場のような緊張もいいが亜衣のように縄にうぶな少女をいたわりの気遣いで撮影をすすめるのも楽しみのひとつだ。

若菜亜衣「杉浦則夫緊縛桟敷」にて掲載開始。