投影 ~小林一美を求めて~ 女教師

第七章 、女教師

実は一度、それまで集めていた緊縛グラビアを全て喪失している。
私の不注意であった。思い出すたび辛くなるので、細かくは書かない。
もちろん「小林一美」の膨大な緊縛画像群も含まれていた。現在手元にある彼女のグラビアは、その後から再び収集した、いわば二代目「小林一美」なのである。

“魔性”は続いている。

私は深く靄の掛かった沼地をさ迷う。朽ち果てた小屋が見えた。中に入ると中学校時代の本屋だった。書棚に、礼服姿で縛られる彼女、それが「淫靡な書道」と気づき、そこで目が覚める。
連夜、同じ夢を見続けた事もあった。礼服の小林一美は、この時まだ二代目が現れていない。

急き立てられるように、行く先々で古本屋を覗いていった。記憶をなぞりながら、徐々に失った彼女を取り戻して行く。すでにアダルト本は、古本屋といえどもビニール包装が当たり前となっていたので、中身が確認できないセレクト誌には難儀した。

失ったものから取り戻す事を優先したのに加えて、小林一美の活躍した年代の雑誌が、「古本」から「プレミア本」へと移行し、徐々に高価なものになっていったのも、未見の彼女の発見を遅らせていた。

私は成人となっている。

「凌辱女教師」
新刊として手に入れた昭和62年SMセレクト7月号に、1ページだけ収録されたこのタイトルの元画は、喪失前には未見であった。また、その存在を予感させるモノクロ画像も記憶にない。

そこでの小林一美は、ワルの餌食となった新人教師であった。
身が切られるほど締め上げられた股縄。乱暴に乳房を揉みしだかれ、苦痛にゆがんだ顔。うめき声とも喘ぎ声とも付かない彼女の声が聞こえる。

驚いた事に、赤いベストにタータンチェックのスカート姿は、彼女に良く似た小学校の担任教師の服装と同じであった。私が最初に妄想した女教師。
背景が、小部屋と教室の違いはあっても、同一人物かと疑うほど、その全てが酷似していた。

初掲載はいつだ?
同じ出版社、セレクト誌が疑われた。

55年近辺の雑誌に掲載されているバックナンバーを頼り、元画「乙女の肉餐」に行き着く事が出来た。この時の名前は「笠井はるか」。どういった理由で、文字だけの情報からソレが「小林一美」と特定できたかは未だ謎である。
大阪梅田の古本屋で、掲載誌を見つけたときは、嬉しさのあまり、店主に感謝の言葉を述べた。それまで何百と古本屋を巡ったが、店内で誰かに話しかけたのはこれ一度きりである。
ありがとうございます、ありがとうございます、何度も頭を下げて店を出た。

こんなに近くにいたのですね。
2月号ということは、まさに初めて白い着物の彼女と出会った頃である。担任教師にダブらせたはずの彼女だったが、女教師・小林一美はその時すでに存在したのだ。

運命に、鳥肌が立った。

その後、ある事で故郷を追われ、財産の大半を失った時も、私は決して彼女を手放す事は無かった。

おそらく、三代目「小林一美」が現れることは無いだろう。

撮影開始前のモデルの心中vol03

撮影開始前のモデルとのやり取りの中で
須永佐和子 Vol03

杉浦)「無」の感覚。。。かなりの差があるかもしれないがその感覚をさがしてみました。

今日寝不足で新宿へ出かけました、疲れて地下鉄のホームのベンチで休みました、体をベンチに小さく丸めていますとなぜかホームレスになったような気持ちに入り込みました、なんだか俺の丸まった体は大きな透明の風船のようなものの中にあり、あったかで半眠の仮死状態のようで母体の中の嬰児のような安らぎであった、全ての騒音は膜をへだてた向こうにあり、通行人の高い足音もおぼさんのおしゃべりも、電車の音もみんなよく聞こえます、だが全ての出来事は膜の向こうで起こることです。

須永)こんばんは。

先生の感じた、嬰児のような感覚、私もよく感じます。
外部の音が膜の向こうから聞こえてくるかんじですね。そんな時は自分の心臓の音が体中響いて、うるさく感じてしまうのです。
縛られている時も心音が邪魔する時があります。
「無」を伝えるのは難しいですね・・・
もう少し自分なりに考えてみます。 

いろいろ考えていると、縛られたくなりますね。

〜続く〜

撮影開始前のモデルの心中vol02

撮影開始前のモデルとのやり取りの中で
須永佐和子 Vol02

須永)こんばんは。

私は、生まれた時から苦痛を味わうのが好きだったと思います。
小さい頃から、皮膚に針を刺して遊んだり、爪を剥いだりしてました。(今は爪は剥がないです・・・)

痛みを感じて生を実感していたと思います。今でも、痛みを味わうのが大好きです。
本格的な緊縛に出会ったのは今から3年位前です。どこに行けばいいのか分からずに、渋谷のハプニングバーに行きました。先生もご存じだと思いますが、一鬼のこさんに縛られたのが最初でした。初めてでしたので、(今思えば)吊るわけではなく、初歩的な縛りだったと思います。
その時の感覚は今でも思い出します。
生きているのに、「無」のような感覚だったり、精神的に性の興奮を感じたり。
その後は、いろいろな縛りを体験して、拘束感を受けながら自分自身を感じています。
文章を書いていると、よく分からなくなってしまいます・・・

変な話ですが、私には殺されたい願望があるみたいです。前回のメールで犯罪者の方の眼が好き、と書きましたが、残酷な事件の犯人の写真や映像を見ると興奮してしまいます。「この人の視線の先に私の死体があったら・・・」と思ってしまうんです。なかなか友達には言えないです。
私の気になった事件で、北九州で起きた一家6人を殺害して遺体を消し去った事件があります。犯人の男性は内縁の妻の一家をマインドコントロールして、家族同士で殺人、死体遺棄をさせたのです。写真を見ると「この人が?」って思いましたが、その人にはなにか精神的に支配させる力があったのでしょうね。
残酷すぎる事件ですが、何か惹きつけられました。

変なお話をしてスミマセン。  感性がズレている・・・とよく言われます。

杉浦)あなたの感じる「無」のような感覚をもっと知りたい

–日付変わって–

須永)こんばんは。
寒いですね・・・。

私が感じた「無」の感覚は、細胞達が互いに静観し合っているような、呼吸だけしている無機物でした。
拘束中に痛みや熱を与えられると細胞達が反応して「生」を意識させたくれました。私は「無」の方が好きです。  

拘束中の精神的な性の興奮に関しても、選択する権利も、決める権利も与えられない主従関係が限りない興奮に導いてくれますし、脳内では、性行為が行われているのでは?と思います。

生まれつきなのでしょうか・・・優柔不断です。昔から親や友達に誘導されながら生きてきました。自分自身が存在していないから、すぐに影響を受けてました。でも、誰かに従う自分がとっても大好きです。奴隷体質なのですかね?
ここ数年で緊縛にはまったのは、社会人として働いていると、100%誰かに従うことが少なくなり、体のどこかで拘束感を探していたようにおもえます。

小さい頃に見た映画で、主人公がクレーンに吊られて水か泥水の中に何度も沈められていたシーンが忘れられないですし、いつかそうされたい願望があります。
そのシーンに全神経を集中させられた感覚は、はっきりと覚えてますね。

文章って難しいですね。考えていることが書けなくなります・・・。

最近わかったことは、私は普通に恋愛を楽しむ女ではないということですね。

〜続く〜

撮影開始前のモデルの心中vol01

撮影開始前のモデルとのやり取りの中で
須永佐和子 Vol01

撮影を控えたモデルとのメールでのやり取りの中で垣間みる素顔。

須永)こんばんは。7月の終わり頃に緊縛桟敷の撮影をしていただいた、須永と申します。
可能であれば、また撮影をしていただきたいと思いメールしました。

杉浦)11月18日に動画サイト(緊縛桟敷キネマ館)の撮影を組みました、JR水道橋に8:30AMに待ち合わせいたしましょう、
撮影予定のまでまだだいぶ間がありますからパソコンで会話をしてみたく思います。

まずどんなスチュエーションを思い浮かべて興奮の対象にしますか、これからは思いついたままにランダムに
書きます、性感帯はどこですか、かなり詳しく知りたい、拘束されている時にはどんな想いで居ますか、ー視姦、ひたすらイマジュネイションの世界にある(それはどんな)ー責めはどんな方法を求めますか、NGも書いておいてください。

つねに全力で撮影に臨んでいるつもりですが評価はまちまちです、が今回は貴女の太ももの色艶が多くの男の心をゆさぶるようですのでそこを視点としたくおもいます。

須永)こんばんは。

私の興奮の対象ですか・・・たくさんの人達に見られながら被虐的行為を受けている自分を、日々想像しています。好奇的な視線や、哀れんだ視線を受けると、興奮します。おかしいかもしれませんが、犯罪者の方の冷酷な視線は大好きです。 

性感帯は、普段は膣内です・・・が、縛られている時は全身が性感帯のような感じです。全身だけでなく、脳内も性感帯みたいです。
身体的拘束も精神的拘束も私にとっては幸せです。少なくとも、縛られている時は主従関係が存在していると思いますし、その関係が心地いいです。拘束感を感じている時は生きていることを感じ取れます。
基本的には、受け入れられるだけの責めは全て受け入れたいです。被虐的であれば尚いいですね。NGは特に思いつかないです。考えておきます・・・。

とにかく精神的に堕ちたいです。

書いている内容がよく分からなくなってきました・・・
ちょっとクールダウンします。

13日が楽しみです。
須永

〜続く〜

投影 ~小林一美を求めて~ セーラー服

第六章 、セーラー服

「おそらく…」
このモノクロ画像があるという事は、必ずそのカラー作品が存在するはず。
また、1タイトルに別バージョンがいくつも存在するのも常であったので、掲載雑誌の直後に発行された写真集には、同衣装で別タイトル掲載の可能性が高かった。
なにか、元素の周期表を埋めていく調子で、「理論的には…」と未発見の画像を仮説し、探索する日々であった。

縛りモノではない、モノクロの小林一美がいる。
たった1ページ。セーラー服姿の彼女は、股を開き手淫に興じていた。
やはりモノクロで、同じセーラー服で縛られた姿が、今度は小さなカットで目次に張られていたりもする。他にも、読者投稿欄に、印刷ドットが丸見えの荒い挿入写真が数点、確認されていた。いずれも、SM誌に掲載されたものである。

私は、これら画像から、セーラー服で緊縛された小林一美のカラー作品の存在を確信し、熱心に探し回った。
が、ついに見つけることが出来なかったのである。自力では。

一昨年、そのどうしても埋まらなかった、セーラー服緊縛のカラーグラビアを所蔵する先輩に出会った。「小林一美」に関して、私ほどの“コレクター”はいないだろう。そう、長く慢心していたが、世の中上には上がいた。

タイトル「少女は媚薬」。
掲載は昭和56年SMセレクト8月号らしい。手元のモノクロのセーラー服より、1年ほど後に発表されたグラビアだった。

捜しに捜し求めたセーラー服緊縛の小林一美。

先輩から頂いた彼女は、それまでの小林一美よりも“疲れて”見えた。いや、“くたびれて”といったのが正直なところだ。目に精気が感じられなかった。
心がざわついている。新たな彼女との出会いを喜ぶよりも前に、別な感情があった。

実は、彼女のセーラー服姿は、もう一つ存在する。
「媚薬」のセーラー服は白スカーフであったが、赤スカーフの作品をそれより前に入手していた。

「SM淫獣群」は、単体ではないものの、かなりのページ数を彼女に充てた写真集である。一連の元素周期表に沿った推理とは無関係に、初めて寄った古本屋で偶然発掘した。
これまでのどの作品よりもレイプ感があった。だが残念な事に、ちゃんと縛られているにもかかわらず、いわいる「緊縛美」といったものは皆無だった。
多くのSM写真集と同じA5のサイズではあるが、自販機本のある種の“下品さ”も併せ持った内容であったと思う。

小林一美のセーラー服に共通して言えることは、拭い難い「違和感」だ。
私は、彼女を小学校の担任教師に重ねていたから余計にそう感じるのかもしれない。いつまでも“年上の女”である彼女に、セーラー服は似合わないのだ。どうにも、グラビアの中に気持ちを入れ込むのが骨であった。

「淫獣群」もまた「媚薬」の小林一美同様、どこか疲れている。
確かに彼女は表紙を飾っていたが、注意深く探していないと、見落としたかもしれない。それほど、これまでとは受ける印象が違っていた。

55年発表のタイトル数を見る限り、彼女は大忙しであった。もちろん、その後も現在に至るまで、未発表の画像は度々リリースされているが、実際の活動時期は、長く見てもこの年と前後半年を含めた2年ほどでなかったかと思われる。

おそらく、2つのセーラー服作品は、その最後の頃に撮られたのではないか?彼女の疲れきった表情から、そんな事を考えたりするのだった。
不覚にも、緊縛モデルとしての小林一美を気遣う。その時代をリアルに生きた、名を知らぬ“彼女”の存在を意識した。

私の作り出した淫靡な妄想世界から、現実世界へと彼女が帰っていく道程。
そんな彼女のセーラー服姿だった。