投影 ~小林一美を求めて~ 出会い

第二章 、出会い

昭和55年、寒い日。
その時の事をはっきり憶えている。中学生だった私は、下校途中に寄り道した本屋で彼女「小林一美」と出会った。

雑誌SMクラブの増刊号として発刊された写真集だった。もちろん、この時はSM雑誌の存在は知らない。
その表紙には、小林一美が掲載されていた。
美しい年上の女。それまで、日常生活において、あるいはテレビや雑誌を通しても見たことの無い、影のある女の表情。白の着物に掛けられた麻縄が鈍い光を放っていた。裏表紙を見て彼女が後手に縛られているのを理解した。
開く。

巻頭グラビアに「花筐」とあった。笑顔はない。縛られた女は、身をくねらせながら顔を歪めていた。

薄暗く狭い店内で、大雑把に区分けされた陳列だったが、私の目はその写真に釘付けになる。タイトルの“SM”が何を意味するのか、まだわからない。それでも“妖美”の意味は、表紙全体からぼんやりと理解できた。
「綺麗な女が縛られている」姿に、胸は高鳴り、熱いものが込み上げてくる。はじめての感情だった。

理由がある。
彼女に魅入られたのは、小学校時代の担任の女教師に似ていたのだ。

やぼったい容姿の女教師が多かった当時、その先生は珍しく都会的で美しい人であった。
きっと恋していたのだ。密かに…私は彼女をモデルにした緊縛姿をいくつも描いた。夢中で!
緊縛という言葉が在る事を知る遥か以前である。
もちろん、麻縄で縛るという知識はない。絵の中で彼女を縛っていたのは、縄の代わりに蛇であった。何匹もの蛇が、担任教師の肢体に絡みつき彼女の自由を奪っている。苦悶の表情を浮かべる女教師。もやもやした“何か”が生まれ、育っていた。
子供ながらに、その絵は「誰にも見られてはいけない」と知っている。ノートに描いては消し、消しては破り捨てた。

捨て去ったはずの、私のかつての妄想が、突然目の前に蘇ったのだ。あっという間に、心が小林一美に侵食されていく。

表紙から、彼女の匂いがした。

たぶん、参考書や文具の購入を偽ったり「よからぬ方法」で、親からお金をせしめたのだと思う。
店番がオバさんである間は、さすがに購入が躊躇われた。店主であると思われるオヤジに交代したのを見計らって、代金と共に写真集を差し出す。顔を上げる事は出来ない。心臓の音が店中に鳴り響いていた。それでも、あの時のドキドキは禁断の書を購入するスリルよりも、恋焦がれる彼女とのデートを心待ちにし、眠れぬ前夜の胸の高鳴りに近かったのではないか。
店主は、薄い紙袋に写真集を入れると、少年にそれを渡した。私は彼女を大切に抱きしめながら再び家へと向かう。小走りであった。

…それにしても、店主はよくぞ、見るから未成年の私にそのテの本を売ってくれたものだ。今考えるよりも、ずっとのどかな時代だったのかもしれない。

投影 ~小林一美を求めて~ 魔性

第一章 、魔性

“彼女”と出会ってちょうど30年。

私は、見知らぬ女と透け下着姿で絡む彼女を見ている。デビューして間もない頃かしら?心なしか硬い表情。「マンパック」というタイトルの自販機本だった。

見返しに掲載されている名前は「阿部美知子」、表紙には「美智子」とある。どちらかが誤植と思われた。

幾つ目の名前だろう?

「高橋弘美」「高橋幸恵」「小林一美」、「小林弘美」も見た気がする。「笠井はるか」「原泰子」「水木真理」「花月愛子」「加納恭子」、そして「阿部美知(智)子」…まだあったかもしれない。

緊縛グラビアを通じて知り合った同好の士の間では、「高橋弘美」が一番通っているが、私の中では「小林一美」のほうが馴染み良い。数ある名前の中で、なぜその名前が刷り込まれたか、心当たりはあるのだが、それが正解かどうかは不明である。

そんな彼女の古い本。つい最近、入手した一冊だ。(参考 マンパック画像)

まさか縄無し、しかもレズもののタイトルを手にすることになろうとは…いや、そもそもそんな彼女の作品が存在している事自体、全く想像していなかった。初めて見る「小林一美」に感動しながらも、どこか間の抜けた緊張感のない裸体に戸惑っている。

実はこれより少し前、同出版社の彼女の非・緊縛の単体本を購入していたが、やはり、カメラ目線で微笑む彼女に、不自然さを覚えた。

『きりりと鋭角に描かれた眉。

千変万化の表情を創る黒い瞳と、マシュマロのような愛くるしい唇。

触れば、吸付いてきそうな肌。

整った御碗形の美しい乳房、品の良い乳輪にポチリと乳首が乗っている。

肉付きの良い尻、はちきれるほど若さの詰まった太腿。』

そのどれもが“あの”小林一美と同じであるはずなのに、全く別人とも思える。

『眉間に寄り、苦悶の記号を描く眉。

うつろな瞳は憂いを帯び、歪んだ唇は何かを訴えているようだ。

弾力のある美肉には麻縄が食い込んでいた。

乳房に掛けられた縄は、形の良い半球をさらに美しく強調する。乳輪は楕円に歪み、乳首は搾り出されるようにツンと勃っていた。

湯気立つ桃尻が男を誘い、太ももは縄によって開かれ、もはや秘部を隠す事は適わない。』

縛られた小林一美は生きている。

体温を感じ、息遣いが聞こえる。大量のフェロモンを含んだ彼女の匂いは、絶えず官能を刺激する。そればかりでない。彼女の周囲の空間は緊張し、心の動きをそのまま私に伝えてくれた。

「魔性」とは、まさにそういう力ではないのか。

30年もの間、不断に彼女を追い続ける私は、その魔性に狂わされている。

第二章へ続く

文 やみげん 写真 杉浦則夫

ドキドキした思い出

僕は物心が付く前から車がとても好きで、帰宅すると一人で自家用車に乗り込みハンドルを握って運転手気分を楽しんだり、トランクの中を漁って遊んでいました。
いつも通り遊んでトランクの中を漁っていると、ある雑誌を手にしてしまったのです。
表紙を捲ると、女性が全裸になって麻縄で縛られていたり、尻が真っ赤に腫れ上がっていたりと、数々の衝撃的な写真を見た僕は心臓が高鳴り、父が車に乗って来ないか気にながらも見入っていました。
何故か“縄で縛られている女性は美しい”と感じました。いや、辛そうな事をしているのに喜んでいる様に見えたのです。
今でも覚えているページがあります。
後ろ手に縄で縛られた女性が布団に横たわっている側で赤子がスヤスヤと眠っている写真のページに衝撃が最高潮に達しました。
小学4年生の少年には刺激が強くて、いつまでも脳裏から離れなかったのは言うまでもありません。

あの時に感じた衝撃が忘れられず、今でも追っているのだと思うのです。
縄を纏う事によって更に美しくなる女性を求めて。

晶エリー

その名は知らなくとも、
男ならその顔を見ればどこかで見た事がある、
と思う人が半数以上はいるだろう。
そのくらい有名な女優さんである。

その彼女が、どんな緊縛姿を見せてくれるのか?、楽しみにしていた。

3枚目。
この表情で勝負してきた、と
そう自信に満ちた、それでいて癒される微笑。


17枚目。
縄を掛けられているのに、自分の世界が崩れない。
なんて完成された人なんだ、と呆れる。

それは20枚目のアップで尚更確信となる。
囚われの身とも言えるのに、動けないのはこちらだ。

29枚目。
やはりアップの画像だが、
この表情で見つめられて、高鳴らない男はいるのだろうか?

77枚目。
丸い尻を晒し、股縄を通される。
表情がグッと変わってくる。
女優であり、女のスイッチが入る。

95枚目。
抱きかかえられ、起こされる。
そんな仕草ひとつにも、雰囲気がある。
これが一流の女優か、と感心。

115枚目。
頭の後ろで腕を組まされたポーズ。
縛られているのに、この凛とした姿はどうだ。
美しい。その言葉がまさに当てはまる。

197枚目。
椅子に座り、大開脚。
ここからが本番。
さて、どんな表情を見せてくれるのか。

200枚目。
綺麗なアナルまで丸見えで、
彼女のファンならずとも、釘付けになる。

291枚目。
バイブの突起部分を、その敏感な所に当てられる。
聞けば、この電源は間違いなく入っており、ガチであるとの事。
そう、我々が見たいのはガチなのだ。
その上で、彼女が演技の狭間に見せる本気を見たい。
それがSの欲求であり欲望。

316枚目。
バイブの先が挿入される。
鼻に息が抜けるそんな表情がしっかりと見て取れる。
そろそろ余裕がなくなってきた頃だろうか。
楽しい。

329枚目。
挿入による中への刺激と、突起によるクリトリスへの刺激。
彼女もそろそろ本気で感じ始めている。
静止画でも、十分にそれは伝わってくる。

397枚目。
明らかに絶頂が近い。
こういう表情を見る時こそ、男の至福の時間。

400枚目。
イったか。ならばもう少し追い込もう。
暴れる身体を縄が押さえつけ、逃げたくても逃げられない。
仕事ではなく、女、晶エリーに戻る一瞬。
白濁した液が溢れてくる。

413枚目。
さらに追い込まれるエリー。
この瞬間こそ、責め師の醍醐味。
縛っているからこそ、責めに集中できる。
縛られているからこそ、自分の自由にならない。
一回で済まされるはずはないと、わかってはいるけど辛い。
その甘美な地獄。

420枚目。
責め師に懇願するような表情。
「そうか、気持ちいいか。もう一回イっておくか。笑」と、
そんなセリフが聞こえてきそうな瞬間。

453枚目。
観念したように、次の絶頂に備えて力が抜ける。

475枚目。
そして、先程よりも辛い絶頂が襲ってくる。
閉じられない脚を精一杯閉じて絶頂直前を耐える。

568枚目。
そして弾けた絶頂。
我を忘れて、その快感を貪る。
脳の指令と、身体の反応がリンクしない。
このアンバランスを与える事こそ、S冥利と思う。

578枚目。
静寂と、先程までの責めとが静かに調和する瞬間。
バイブを入れられたままの女って、なんてエロいんだろう。
犯されるために生まれてきた、そんなタイトルを付けたくなる。
操られていたのは、こちらだったのか?

594枚目。
シーンが変わって、立ち縛り。
そんな姿なのに、実に絵になる。
緊縛された女、というより、
縄を纏ったエリー、というのが正解か。


597枚目。
実に美しい。
現場にいたのなら何時間でも眺めてしまうだろう。

614枚目。
おそろしく羞恥な一枚のはずなのに、完成度が高い。
彼女は、こうされる事すら想定内なのか?
こうされる事も、既に自分の中で解釈が済んでいるのだろうか?
そんな事を考えさせられる。

617枚目。
美しいとしか言いようがない一枚。
これこそ、まさに緊縛オブジェ。
最初の頃にあった彼女の表情と、この一枚を見比べる。
どちらも晶エリー、微塵も崩れていない。

629枚目。
この僅かな仕草。それが指示なのかどうかは知る術もないが、
指示にしても、自分の中に理解が無ければ、こうはならない。
晶エリーが緊縛されるとはこういう事なんだ、と思わせられる。

635枚目。
今回、こんな感想ばかりで恐縮だが、実に美しい。
なんて、完成されているんだ。
彼女が特別スタイルがいいという訳ではないはずだが、
彼女は俯瞰で自分を見られる特技でもあるのだろうか?
本当に美しい一枚だと思う。

645枚目。
突然、凛としたそんな姿を見せてくれる。
僅かにヒールが足されただけなのに、もう近寄りがたい。
縛られていても、エリーはエリーなのだ。

677枚目。
オブジェだなぁ…。
許されるなら、何時間でも眺めていたい。

最初から最後まで、晶エリーは晶エリーだった。
プロとはこういうものだ、と、まざまざと見せられた気がする。
単体女優を張ってきた実力とは、並大抵ではないと改めて知った。

その中から、これぞという一枚を引き出す縄師とカメラマンの実力も流石。
全てが一流でなければ、この作品は生まれなかった、とつくづく感じさせられた。

ご馳走様でした。

上記作品は、
緊縛桟敷キネマ館で掲載中です。

杉浦則夫緊縛桟敷 より原稿掲載

照沼ウァリーザ写真展(晶エリー)

以前に一度小さなアルバムで見せていただいたことがあるが、あらためて大きく引き延ばされて壁面を飾った写真には作者の意図が明確に伝わってくるセルフポートレイトである。
色使いがポップである、
錯乱ともおもえる色の手法をみごとに個性的に消化している、
たぶん背景は自分の部屋であろう、
少女たちが集める小物、
おもちゃでいつぱいだ、
模造ダイヤの冠をつけて大きなヒキガエルを頭にのせたのがある、
この一枚がとくに気に入った、
周りにはいろとりどりなまがいものの小物がちりばめてある、
まるでジャン、ジュネの薔薇の刺青だ、
倒錯の世界にあらず少女の世界に遊ぶ甘ったるい感覚をみせつける、
小虫を顔にはわせたものもある、
アフリカの子供の顔にハエがたかっていれば同情と悲しさを感じるが、ウァリーザの顔の虫は刺青こごとくしてエロチシズムをかもしだすばかり、甘ったるい香りを嗅ぎながら見つめた小部屋の写真展。